マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

本日休日・・・外出は疲れます・・・『荒れ野に留まる』

2014-06-24 23:48:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
今日・6月24日。
 カトリック教会は、キリストに洗礼を授けた 『洗礼者聖ヨハネの誕生』 の祭日です。

           『今日の御言葉』
  『幼子(聖ヨハネ)は身も心も健やかに育ち、
     イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。』
                          ルカ福音書 1章80節

旧約聖書でも。

イスラエルの人々。
40年間も荒れ野にいました。
モーゼの指導で、エジプト脱出を果たした後・・・
   『シナイの荒れ野で2年間。』
更に
最終目的地:カナンの地(イスラエル)入場前に
     『バランの荒れ野で38年間を過ごしました』                   

イスラエル人の旅。                     バランの荒れ野   
エジプト脱出→ 『40年間の荒れ野での生活』→ カナンの地。イスラエル到着!


新約聖書でも。
同様に・・・

イエスキリスト。
洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後・・・
救い主キリストとしての公生活を始める前に
     『霊によって荒れ野に送り出され、そこに40日間留まります』    

                            『荒れ野で40日間。飲まず食わずで祈り続けるイエス』
『イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川(聖ヨハネのの洗礼)からお帰りになった。
    そして、荒れ野の中を”霊”によって引き回され、
      四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。
 その間、何も食べず、その期間が終わると、空腹を覚えられた。』
                         ルカ福音書 4章1&2節

そして
同様に・・・

洗礼者聖ヨハネ。
『今日の御言葉』
『幼子(聖ヨハネ)は身も心も健やかに育ち』
救い主イエスに悔い改めの洗礼を授ける前に
『イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。』

『洗礼者聖ヨハネ』           レオナルド・ダ・ヴィンチ作品
神の言葉荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った
そこで、
ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、
罪の許しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。』
                        ルカ福音書 3章3節

私。
今日は、一日中、休日。
私の弱点は、健康優良児のように見えるのに、若い頃テニスの頑張り過ぎで大手術となった、『両眼』。
今日は、両眼の調子が悪くて…いつものK病院迄。 心配は…先生の「心配ないです」で、すっかり解消。払拭。
帰路…検査のために開いた瞳孔で、まぶしいまぶしい。更に 28度の快晴。 真っ黒のサングラスでも、歩行が難しい。
片道が、徒歩と電車とバスで、70分。 街中の外出に疲れました。 『荒れ野』=『静寂な我が家』が懐かしい。


    なぜに??
 預言者たちは、大事を始める前に、『荒れ野の留まる』 のでしょう???


旧約聖書の『荒れ野』。

イスラエルの民の荒野の放浪。
シナイからバランの荒野での宿営。 40年間。
荒野での宿営が長引くにつれ・・・
人々の不満が高まり、不平を述べました。
「ああ、肉が食べたい。」「ああ、水が飲みたい。」
神は、その度に、「食べ物」 や 「水」 を与えます。

  旧約聖書のイスラエルの民は、
荒れ野で、『神が共にいて、民に心をかけている』、ことを経験しました。
荒れ野の旅が、『神の導きによって行われた』、と。 『イスラエルの信仰』となりました。
  
旧約聖書のイスラエルの民には、
   『荒れ野』は、何もない土地で、『信仰心を養った場所』 でした。


新約聖書の『荒れ野』。

 洗礼者ヨハネには、『荒れ野』 は、『神の言葉を拝受する場所』 でした。 
     ・・・御言葉を拝受した後、洗礼者ヨハネは、ヨルダン川沿いで、公活動を始めました。
 救い主イエスは、『荒れ野』 で、霊に引き回され、40日間、悪魔からの誘惑を受けました。
           『神からの霊と悪霊を、同時に、体験し識別する場所』 でした。
     ・・・悪魔の誘惑を退けた後、救い主は、『悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた』、公活動を始めました。
                                     ルカ福音書 4章13節
そして
私。

   年を重ねた今・・・
 新しい体験は少ない。ほとんどない。 その反面 『荒れ野』には恵まれています。
  『静寂な荒れ野』で、 神の御元に帰る前に、
 今まで知ったこと、学んだことを、浄化させたい。 先人たちの学びから、『真理』を会得したい。


   『荒れ野』は・・・
 場所であります。 と同時に、『精神的場所』でもあるということ。
  自己と向き合い、絶対者と向き合い、先人たちと語り合い、大事の前の、欠かせない『時間』 ということです。


帰路の大丸で買いました。
大好きな  『PAULのパン』   と   『DEAN&DELUCAのラーザニャ&キッシュ&アボガドサラダ』
  
私は 御言葉もパンも 大好き!
『イエスは(荒れ野で。空腹状態で。誘惑する悪魔に。)お答えになった。
「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」』
                              マタイ福音書 4章4節  

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
お元気ですか? 私も心配から解放されて、御言葉とパンで、すっかり元気になりました!

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