マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『泣く時、笑う時』・・・『共に佇む』 そして 『聖マタイ使徒福音記者 祝日』・・・『「わたしに従いなさい」マタイは立ち上がってイエスに従った。』

2022-09-21 13:58:33 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
9月21日。水曜日。曇り。

2022年度『台風14号』
14日(水)午前3時に小笠原近海で発生。
18日(日)午後7時頃に鹿児島市付近に上陸。
19日(月)九州を縦断したあと、本州の日本海側を進み、
20日(火)には東北を通過して、
20日午前9時に日本の東で温帯低気圧に変わりました。

1週間続いた、全国を巻き込んだ、
『大型台風』でした。

被害に遭われた皆様に
心よりお見舞い申し上げます。
被災地の一日も早い復興を
心よりお祈り申し上げます。


    
                             ネットより拝借
            台風の中でも『元気な秋の花』
              なぐさめられます。

  昨日は、私の在所では雨もやみ、
  友人のお見舞いに行ってきました。

       人は皆、
       順境の時もあれば、逆境の時もあります。
       喜びの時もあれば、悲しみの時もある。
       元気な時もあれば、病気の時もあります。
       笑う時もあれば、泣く時もあります。


  思い出すのは『聖書の言葉』です。

      『何事にも時があり、
       天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

        生まれる時、死ぬ時
        植える時、植えたものを抜く時
        殺す時、癒す時
        破壊する時、建てる時
        泣く時、笑う時
        嘆く時、踊る時
        石を放つ時、石を集める時
        抱擁の時、抱擁を遠ざける時
        求める時、失う時
        保つ時、放つ時
        裂く時、縫う時
        黙する時、語る時
        愛する時、憎む時
        戦いの時、平和の時。』
        コへレトの言葉 第 3 章1-8節


      昨日は、友人と手を握り合って、別れました。
       その帰路に私が詠んだ『俳句』です。
 
       『病む友と 為す術もなく 共に佇む』

    友人の一日も早い回復を、心よりお祈り申し上げる私です。


そして。

今日は9月21日。年間第二十五水曜日。

    『聖マタイ使徒福音記者 祝日』
   
   『聖マタイの召命』  カラヴァッジオ作品

 マタイは、カファルナウムにまれ、
 イエスに招かれた時はユダヤの徴税人マタイ10-3として働いていました。

   ある日、収税所の前を通られたイエスから
   「わたしに従いなさい」と声をかけられてイエスに従いマタイ9ー9
       12使徒の一人となった。

 当時のユダヤ社会で使われていたヘブライ語(アラマイ語)福音書を書き記した。
   東方で福音を宣教し、エチオピアで殉教したと伝えられている。
         『毎日の読書』より

『今日の入祭唱』

   『イエスはおおせられた
    「あなたたちは諸国に弟子をつくりに行き、
    父と子と聖霊とのみ名によって洗礼を授け、
  私があなたたちに命じたとこをすべて守るように教えよ。」』
       マタイによる福音書 28章19-20節

『今日のアレルヤ唱』

  アレルヤ、アレルヤ。
  『あなたを神とほめたたえ、万物の主とあがめる。
    栄光を受けた使徒の群れもあなたをたたえて歌う。』
        典礼聖歌 277番 聖マタイ  アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは通りがかりに、
   マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、
      「わたしに従いなさい」と言われた。
     

      彼は立ち上がってイエスに従った。

   イエスがその家で食事をしておられたときのことである。
      徴税人や罪人も大勢やって来て、
      イエスや弟子たちと同席していた。
     
      ファリサイ派の人々はこれを見て、
        弟子たちに、
  「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」
                       と言った。

      イエスはこれを聞いて言われた。
          「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。

        『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』
                  ホセア書6章6節
                  とはどういう意味か、行って学びなさい。

            わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、
                          罪人を招くためである。」
        マタイによる福音書 9書9-13節


   今日のイエス様は、
   世間では罪人の仕事であるとする徴税人の一人・マタイを弟子になさいました。
   その後、マタイの家で食事をしておられた時に、
   『わたしは、罪を赦し救うために、この世に来た。』
     と、ファリサイ派の人々の疑問に、答えました。


         マタイは徴税人で、罪人と考えられていました。
    ※人は、そんなマタイはイエスから呼ばれる資格はない、と考えるのです。
    ※イエスは、すべての人は神の似姿創世記1-26すべての人に価値がある。
        すべての人が『神の愛』を受ける資格がある。
        マタイも、人には必ず善と悪の両面があり、『神の愛』を受ける資格がある。
              と考えるのです。
    ※イエスは、友情の印で、マタイの招きに応えて、一緒に食事をしました。


       人は、イエスの友情を経験すると、悔い改めが出来ました。
        マタイも、実は、イエスの『声かけ』に友情を感じて、
       初めて、自分の罪深さの悔い改め、が出来たのかもしれません。
        それは、マタイの『喜びの時』、『生まれ変わる時』。
         マタイは、どんなに嬉しかったことでしょう♡♡
         マタイは、立ち上がってイエスに従ったのです♡♡
       人は、自分の力を信じ、人の助けを必要と考えない人は、
          誰の赦しも救いをも、求めることなく、   
          必要性をも感じないのかもしれません。


    初代教会の時代も、今の時代も、
    教会の日曜日の礼拝で、『神の御言葉』を聞くとき、
    イエスがそこにおられ、赦してくださること、を感じるのです。
    マタイのように自分にはその資格がないと思っても、
    イエスに呼ばれ、イエスの憐れみを受け、赦されるのです。


    私たち・キリスト者も、
    神に呼ばれ、神の慈悲によって赦しを受けた者です。
    赦された者として、イエスに倣って、人を大切にするのです。
    特に、困っている人や弱い人を大切にできますように。
    友情を示すことが出来ますように。
          祈りましょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
人には、泣く時、笑う時。嘆く時、踊る時。戦いの時、平和の時。
思いがけない時、想定外の時、が必ず訪れます。
どんなときにも、皆で声かけあって、『時』を乗り越えましょう。 お元気で!   

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