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マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

志貫徹の原動力

2012-03-23 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
まずは・・
テレビ番組の話(神父の報告)。


小学生数人とその母親の協力を得た調査番組です。
小学生一人一人は自宅です。

見た目も食べても美味しいケーキを机に置き、母親は子供に言います。
「1時間ほど外出して来ます。お留守番をよろしくね。
お母さんが帰ってきたら・・
一緒に食べましょうね。このケーキを二つあげます。
待っていてね。」

子供はどうなりますでしょう。
「いってらしゃ~い!」と留守番が始まります。
留守番をしながら。。目の前にあるケーキが気になってなりません。

”ママは一緒に食べましょうね! って言ったな~。”
”帰ってきたら、二つあげる! って言ったな~。”

”今食べたいな。 でも・・それは良くないよな!”
”今食べちゃおう! 二つ食べなくてもいいや!” 

等々。 子供の葛藤が続きます。

結果は
『待つ!』と決めた『志貫徹』 の小学生
母親の『二つの約束』を信じて・・志貫徹の『原動力』としました。
母親と一緒に 二つのケーキ を食べました。

待つことが出来ず、『志を貫徹出来なかった』小学生
母親の二つの約束ではなく・・『今の自分の渇きを満たす』ことを優先させた小学生。
独りで 一つのケーキ を食べました。

小学生たち。どっちの子たちも。
食べたケーキは美味しかった。 あれこれ詮索なしで・・受け入れてあげましょう。OKよ!

さて・・
大人になればそおはいかない。自分の人生観をかけての選択がせまられます
皆様は! 私は! どちらのタイプでしょうか??


    今日は聖書通読会
    民数記の始まりです。

『イスラエルの人々はシナイの荒野を旅立った。パランの荒野に宿営した。』 民数記10章12節
『彼らは、モーゼを通してなされた主の命令によって、初めて旅立った。』 民数記10章13節

『パランの荒野』  

見渡す限り・・何もない。水もない。乾き切った荒野です。


『民は、激しく不満を言った。
「誰か肉を食べさせてくれないものか。
エジプトでは魚をただでたべていたし、きゅうりやメロン、ねぎや玉葱やにんにくが忘れられない。
今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見渡しても何もない。』 民数記1&5節


『モーゼは言った。
「わたしの率いる民は男だけで六十万人います。」』 民数記11章21節
『「彼らのために羊や牛の群れをほふれば、足りるのでしょうか。海の魚を全部集めれば、たりるのでしょうか?」』 民数記11章22節


男達の家族を含めば・・300万人?以上の、エジプトへの思慕を募らせる大集団です。
乾き切った不案内の地・・食べ物はどうなるのだろう? 生活はどうなるのだろう?


お菓子を目の前にして・・母親の言葉を受け入れて待つのか否か・・小学生の葛藤。
大集団を荒野で率いて・・神の言葉が示す『乳と蜜の流れる土地』を信じて進む・・モーゼの葛藤。
人生の旅路の旅行者・・・『終着点』=『主の土地』に向かって一方通行の旅路を進む・・私たちの葛藤。


どの人生においても・・
人々の葛藤は続きます。


神の憤りも続きます。 
『「主の手が短いというのか。私の言葉どおりになるかならないか、今、あなたに見せよう。」』と。 民数記11章23節


そんなこんなでも

葛藤を克服して・・
『主の言葉』を信じ。 民を率いて、豊かなエジプトを振り返ることなく『乳と蜜の流れる土地』へ向かって・・一歩通行の旅路を続けるモーゼ。
『母の言葉』を信じ。 『母を待つ』と『志貫徹』のために・・自分の渇きと欲望を抑えこむ小学生。


   『志貫徹の原動力』は『信仰』です。
  神の、そして、母親の言葉を信じること。
一方通行の旅の先の『目的地』=『喜び』を示す言葉。
 神との、そして 母親との、信頼関係です。     今日の聖書通読の学びでした