鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

自らの身上を偽ってまで作った川柳が年間大賞となって困ったことに

2013-03-03 | Weblog
 2日付けの毎日新聞の「ひと」欄にに万能川柳年間大賞を受賞した稲葉茂夫さんが取り上げられていた。サラリーマンや主婦の間に川柳が盛んになっていると伝えられているので、どんな作品が大賞に輝いたのかな、と思って読んでみて、孫が亡くなったのをさらっと悲しんでいる川柳で、なるほどな、と思った。ところが、孫が亡くなったのは真っ赤なうそで、現実には健在で、いまだに息子夫婦には伝えていない、という。恐らく周辺の知人のことでも思い遣ったのかもしれないが、そこまでして川柳を詠む気にはなれない。
 受賞した川柳は「神様は 不公平だな 孫が逝く」というもので、最愛の孫が亡くなった悲しみを神様を恨む気持ちにもっていったところが川柳らしいと評価されたのだろう。投稿された昨年9月に月間大賞を受賞し、この度は年間大賞に輝いた、という。ところが、作者本人の孫は健在であることがインタビューしてわかったのだが、だからといって川柳は本当のことしか詠っていけないなどというルールはないだろうから、そのまま受賞の段取りとなったのだろう。
 ただ、冷静に考えて、川柳を作ることが仕事のプロならともかく、市井の素人が自らの身上をわざわざ偽ってまで作成するのはどこかひっかかる。子息夫婦が知ったら、一体どんな気持ちになることだろう。仮にこの先、当のお孫さんになにか不幸なことが起きたりしたら、なんとも寝覚めの悪い気持ちがすることだろう。たとえ、知人のだれかのことを思い遣って作ったのだ、としても昨年9月に月間大賞を受賞した際にでも打ち明けていれば、まだ波紋を呼ばなかったのかもしれない。
 月間大賞なり、年間大賞を選定する際に、「この作品は事実ですか」などと問い合わせるようなことはしないだろう。あくまでもひとつの川柳作品として優れたものかどうかだけが選定の基準となるので、それが本人の事実かどうかは全く問われないことだろう。もとより他人の心情を忖度して作ってはならない、などという規定があるわけではない。沢山の川柳のなかで選ばれた作品同士での優劣を決めるのだから、選ぶ方にはなんの瑕疵もあるわけではない。
 もしろ、問われるべきは受賞者本人だろう。選ばれるなどと思っていなかったのだろうから、あれよあれよよいう間に事が進んで、後ろへ引けんかうなってしまった、というのが本音なのだろう。が、そこは当の息夫婦の気持ちになって、受賞を辞退するのが至当なことではなかったのか、と思われる。
 でなければ、川柳のなかにこれは友のことだよ、ということをわからせる文言を挿入しておけば、何も問題はなかった、と思われる。短い言葉のなかにそこまでするのは難しいことかもしれないが、そこが川柳の面白さと思って、工夫すべきだった、と思う。そうすると、年間大賞を受賞できなかったかもしれないが、それはその時のことである。
コメント (2)
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