鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

「OPUS」(作品)というタイトルを冠した意味は音楽の虚構性(?)だったのか

2013-09-15 | Weblog
 14日は東京・初台の新国立劇場小劇場で、演劇「OPUS」を観賞した。米国の劇作家、マイケル・ホリンガーの作を小川絵梨子が演出したもので、米国の弦楽四重奏団ラザーラ・カルテットがホワイトハウスでの演奏会を前にメンバーの入れ替えがあったり、楽団員お互いの嫉妬や裏切りをコミカルに描いたもので、十二分に楽しめた。舞台が360度どこからも見られる設定でありながら、場面展開もスピーディで、あっという間に2時間が経ってしまった感じだった。
 いつものように開演前に携帯電話とアラーム時計の音消しの案内があったあとすぐに、席を求めて客が現われたかのように舞台に上がったのがカール演じる近藤芳正だった。チェロを持って舞台に上がり、楽器を取り出して、他のメンバーの段田安則演じるリーダーのエリオットらの登場を待っている。メンバーがそろったところで、いつものように練習に取り組む。4人がチェロ、ビオラ、ヴァイオリンをいかにも演奏しているように操り、バックミュージックに合わせる。一通り、練習が終わった段階で、リーダーからメンバーの入れ替えについて相談があり、女性のヴァイオリニストがやってきて、入団したい、という。そこで、弾かせたところ、上々の腕前で惚れこんだところ、実はオーケストラの楽団員への入団もあってどちらへ入ろうか、悩んでいる、という。 あまりにも身勝手な行動にあきれたメンバーは唖然とする。
 その数日後、心当たりの奏者に声をかけようとしたところ、先日の女性が「もう一度お願いします」と言ってきて、補充騒動はケリとなり、新たなメンバーでの練習に取り組むこととなった。それでも、いなくなったメンバーの消息がわからないことや、実はリーダーとやめたメンバーがホモだったことが判明したりする。また、カールの病状が進んでいることなど様々なことが起きたりする。
 それでもホワイトハウスでの演奏会めざして練習に取り組み、なんとか当日を迎え、大成功のうちに演奏を終える。そして、終わった途端にやめたドリアンが現われ、メンバーからリーダーのエリオットに代えてドリアンにしたい、と提案があり、カールはその理由としてエリオットの演奏レベルが低いことをぶちまける。失意のうちに楽器のヴァイオリンだけは持って帰りたい、というエリオットに対し、カールは怒って、そのヴァイオリンを叩き壊してしまい、幕となる。
 出演の役者のうち男優人はいずれも演技派をそろえたようで見ごたえがあった。た、だドリアン役を演じた加藤虎ノ助はNHKの朝ドラ「とりとてちん」で個性豊かな落語家を演じて一躍名を馳せたが、今回はホモの演奏家でやや持ち味が出なかったのが惜しまれる。
 最後にヴァイオリンを本当に叩き壊してしまうのには驚いたが、それよりも音楽には素人のはずの役者たちがバックミュージックに合わせていかにも演奏しているかのように演じていたのにも驚かされた。よくみれば実際には演奏していないことはよくわかるが、距離が離れていたりしたら、わからない場合もあることだろう、と思った。コンサート会場ではそんなことはできないだろうが、テレビのスタジオだったら、簡単に偽装できることだろう、と思った。その意味で「OPUS」(作品)というタイトルは意味深である、とも思えた。芸達者な5人の役者が演じた演劇は音楽の虚構性を示唆したのかもしれない。
 
 
 
コメント
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