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中世以来の窯業地を「日本六古窯」と命名した研究者がいて、今や越前・瀬戸・常滑・信楽・丹波・備前の6産地は日本遺産に認定されている。一方、現代の統計では「主要11産地」の括りがあって、出荷額順に美濃・唐津有田・波佐見・瀬戸常滑・京・九谷・萩・益子・萬古・信楽・備前が代表的産地になる。ここで注目したいのは「京」である。多くが陶土の産出地に立地しているのに対し、京焼・清水焼の「京」は明らかに消費地立地である。
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縄文時代に発明されて以来、土器は「集落ごとに」というほどに人々の暮らしの傍で手作りされていたものであろう。それが人口の増加につれて、陶土の埋蔵地や流通の利便性などから産地が集約され、大規模に産業化されて行ったと思われる。その結果が六古窯であり主要11産地に繋がっている。他にも笠間や伊賀、砥部、薩摩など産地は多いけれど、私はそれらも含め、以上の窯業地でまだ足を運んでいないのは、越前、京、萬古だけになった。
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ただし京焼・清水焼については3年前、その故地である五条坂を訪れているから、京における窯業についてはいくらか推察が付いている。五条坂を「故地」というのは、京焼の窯元は古くからこの東山西麓に集中していたのだが、市街地が鴨川の東にまで広がるにつれ、窯から立ち上る煙が公害問題となり、55年ほど前、東山の東麓に造成された山科の陶芸団地に、窯元らが一斉に転居したからだ。全国的に珍しい焼き物団地は「清水焼の里」という。
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陶器市の開催日でもないのに訪れる物好きは私くらいのものらしく、京都駅の八条口で乗り込んだ路線バスからしてガラガラだ。山科と言っても区の西のはずれで、五条坂からは東山の尾根を越えた近江側の山麓にあって、さほど離れていない。稲荷山という名のトンネルで東山を通過、バス同士がすれ違うのが困難なほどの遅れたインフラの街を揺られて行くと、「清水焼団地」と案内のあるバス停に着く。好天の晩秋を楽しむ気分で歩く。
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団地内には窯元のほか問屋、原材料屋、指物師といった約60軒の焼き物関連の施設が軒を並べているというのだが、窯業地特有のレンガ積みの煙突といったランドマークは全く見当たらず、焼き物団地というより郊外の住宅地に迷い込んだ気分だ。それでも目を凝らすと、手入れの行き届いた庭の奥に大きな建屋があったりする。作家の自宅兼工房なのだろう。排煙を伴う登り窯や穴窯を避け、窯は電気やガスに替えられているのかもしれない。
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京焼による「洛中洛外図屏風(上杉本)」の陶版画が飾られているというギャラリーを訪ねると、案の定、閉じている。だが入り口近くに小さな張り紙があって、電話してくれれば対応できるかもしれないと書いてある。恐縮しつつ電話すると、すぐに店員が現れて店を開けてくれた。陶版は極めて繊細な線で描かれ、焼成後に上絵付けする京焼ならではの鮮やかさで、巨大な屏風絵が再現されている。、京における作家の技量の高さに目を奪われる。
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野々村仁清や尾形乾山を生んだ京焼は、「京」という最大の消費地に窯を構えていること自体が、全国から優れた職人を引き寄せたであろう。雅な絵付けの一方で、かえって「自由」を生んだのだろうか、京焼の、特に若手作家の作品群からは、個性が強く滲んだ面白い作品に出会うことがある。だが今や、窯業を取り巻く需要の減退という課題は京焼でも同じようで、団地50年の記念誌には後継者難に対する強い危惧が記されている。(2020.11.17)
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縄文時代に発明されて以来、土器は「集落ごとに」というほどに人々の暮らしの傍で手作りされていたものであろう。それが人口の増加につれて、陶土の埋蔵地や流通の利便性などから産地が集約され、大規模に産業化されて行ったと思われる。その結果が六古窯であり主要11産地に繋がっている。他にも笠間や伊賀、砥部、薩摩など産地は多いけれど、私はそれらも含め、以上の窯業地でまだ足を運んでいないのは、越前、京、萬古だけになった。
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ただし京焼・清水焼については3年前、その故地である五条坂を訪れているから、京における窯業についてはいくらか推察が付いている。五条坂を「故地」というのは、京焼の窯元は古くからこの東山西麓に集中していたのだが、市街地が鴨川の東にまで広がるにつれ、窯から立ち上る煙が公害問題となり、55年ほど前、東山の東麓に造成された山科の陶芸団地に、窯元らが一斉に転居したからだ。全国的に珍しい焼き物団地は「清水焼の里」という。
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陶器市の開催日でもないのに訪れる物好きは私くらいのものらしく、京都駅の八条口で乗り込んだ路線バスからしてガラガラだ。山科と言っても区の西のはずれで、五条坂からは東山の尾根を越えた近江側の山麓にあって、さほど離れていない。稲荷山という名のトンネルで東山を通過、バス同士がすれ違うのが困難なほどの遅れたインフラの街を揺られて行くと、「清水焼団地」と案内のあるバス停に着く。好天の晩秋を楽しむ気分で歩く。
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団地内には窯元のほか問屋、原材料屋、指物師といった約60軒の焼き物関連の施設が軒を並べているというのだが、窯業地特有のレンガ積みの煙突といったランドマークは全く見当たらず、焼き物団地というより郊外の住宅地に迷い込んだ気分だ。それでも目を凝らすと、手入れの行き届いた庭の奥に大きな建屋があったりする。作家の自宅兼工房なのだろう。排煙を伴う登り窯や穴窯を避け、窯は電気やガスに替えられているのかもしれない。
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京焼による「洛中洛外図屏風(上杉本)」の陶版画が飾られているというギャラリーを訪ねると、案の定、閉じている。だが入り口近くに小さな張り紙があって、電話してくれれば対応できるかもしれないと書いてある。恐縮しつつ電話すると、すぐに店員が現れて店を開けてくれた。陶版は極めて繊細な線で描かれ、焼成後に上絵付けする京焼ならではの鮮やかさで、巨大な屏風絵が再現されている。、京における作家の技量の高さに目を奪われる。
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野々村仁清や尾形乾山を生んだ京焼は、「京」という最大の消費地に窯を構えていること自体が、全国から優れた職人を引き寄せたであろう。雅な絵付けの一方で、かえって「自由」を生んだのだろうか、京焼の、特に若手作家の作品群からは、個性が強く滲んだ面白い作品に出会うことがある。だが今や、窯業を取り巻く需要の減退という課題は京焼でも同じようで、団地50年の記念誌には後継者難に対する強い危惧が記されている。(2020.11.17)
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