今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

1167 伊香保(群馬県)湯煙は懐かしさと淋しさを超え

2024-06-05 08:40:01 | 群馬・栃木
ブログ『すずめ通信』の読者から「このブログが開設されて20年になりますね。こんなに続くとはすごい」とご指摘をいただいた。確かに創刊は2004年7月だから、いつの間にか20年を経たことになる。「すごい」と言われると面はゆいけれど、雀たちに「これを機に20周年総会を開催しようか」と呼びかけた。Nagano雀とChiba雀は即座に「いいね!」の返信。Tokyo-e雀からは「群馬あたりの温泉に浸ってみたい」と提案があった。



「上州なら任せて欲しい」と手を挙げたのはTokyo-k雀である。有り余ると自認する土地鑑を駆使、早速、伊香保温泉に泊まって榛名湖を巡る旅を企画した。思い起こせば草津温泉で「総会」を開催したのは創刊9年目のことだった。それから10年余、今度は伊香保総会となったわけで、雀たちは上州の湯と縁が深いらしい。ただk雀の土地鑑は半世紀も前のものだから、いささか心もとなくもあって、彼は記憶との落差に一人溜息を吐いている。



例えば、素っ気ない石段が延びていたにすぎなかった温泉街に続く坂は、広々と整備されて温泉郷のビュースポットになっている。「この近くに木造の町役場があったはずだが」とk雀は言うものの、伊香保町はすでに合併して渋川市に編入され、役場は消えた。薄くなった後頭部に容赦ない歳月の長さを刻んでいる雀たちは、石段を伊香保神社まで登り切って息を切らし、365段の石段の、自分の誕生日にあたる「段」を見つけて喜んだりしている。



石段の中央を、茶色の湯が勢いよく流れ落ちている。神社の奥に豊富な湯が沸いているこの地に、温泉場を作ろうと考えた先人たちがいた。戦国時代のことである。樋を埋めた石段を築いて源泉を引き、坂の両側に宿を建てて温泉郷が生まれた。だから伊香保は日本で初めての温泉都市計画が実施された街であり、450年の歴史がある。湯の権利は、樋から引き込む湯の量を「板の口」の大小で定め、計画に参画した宿に代々受け継がれているらしい。



温泉郷は湯の権利が富と力の源だ。50年前の土地鑑を頼りに温泉街を彷徨しているk雀は、記憶にあるホテルの何軒かが廃ホテル状態になっている姿にまた溜息だ。50年前の伊香保温泉は、年間宿泊者数が120万人に達しようという賑わいがあった。その後も客足は172万人まで増え続けたものの、直近では100万人をやや超える程度になっている。先人の子孫だと聞くホテルは別格として、新興ホテルと廃業ホテルが混在する湯の郷である。



お昼に水沢うどんを食べる。江戸時代から続くうどん屋街は、店が増えているから盛況なのだろう。昔、行きつけにしていた店はずいぶん大きな構えになり、混み合っている。東京転勤が決まった私に主人が記念にくれた店独自の三角形のザルは、使い続けられている。そのご主人も、居間の炬燵で「おしんこ餅」を振舞ってくれたおばあさんもすでに亡く、元気な女将さんも2年前に他界したという。時を遡る旅は、淋しさに耐えなければならない。



雀たちは徳冨蘆花とは何の縁もないのだけれど、泊まりは『不如帰』の宿にした。夕食を兼ねた総会は、ひたすらおしゃべりと地酒の追加で更けて行った。4人は中学時代の同級生で、それぞれがそれぞれの職を選んで人生を送り、そうした人生をリセットする時期が近づいたころ、声を掛け合う機会が増えてブログ仲間になったのである。『すずめ通信』は、そのうちの一人が「雀」の文字を含む地で暮らしていた縁で名付けられた。(2024.6.2-3)




























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