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昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

1169 御池(福島県)尾瀬の口で芳しい涼風に包まれる

2024-06-14 14:39:00 | 山形・福島
湿原の水の溜まりに初夏の白雲が映り込み、濃い緑の中に真っ白な光を放って水芭蕉が群生している。私が撮ったこの写真を観れば、誰もがここは「尾瀬」だと解るであろう。そう、尾瀬なのだ。だからといって「尾瀬に行ってきた」とは、いくら図々しい私でも言いそびれる。福島県側の尾瀬への登山口である「御池」から木道を500メートルほど歩き、「田代」と呼ばれる小さな湿原に分け入っただけなのだから。それでも尾瀬である。空気が芳しい。



浅草から東武特急で約3時間、会津高原尾瀬口駅から路線バスに乗り継いで1時間40分ほど、尾瀬御池に着く。新幹線なら、東京から函館に着いているほどの時間がかかったけれど、私のような脚力に自信がない年寄りでも、標高1500メートルの高みに立つことができたのだからありがたい。御池ロッジの広い駐車場には、まだ溶け切らない大きな雪塊が残り、「全国的に暑くなる」と繰り返す予報とは裏腹に、心地よい涼風が吹き抜けて行く。



木道に入ると、「燧ヶ岳4.5km」「尾瀬ヶ原8.9km」の分岐点になる。ハイカーたちはこのいずれかのルートを選び、福島・群馬・新潟県境に残された奇跡の大自然を満喫しに歩くのだろう。田代の湿原に出ると、晴れ晴れとした視界の先に残雪が縞模様を描く青い高山が見え隠れする。至仏山かと想像したが、帰宅して地図を精査すると景鶴山(2004m)であったらしい。空気が実に芳しいことに気がつく。さまざまな花が放つ芳香なのだろう。



私は社会人生活を群馬で始めたのだが、その2年目の1972年の夏、尾瀬を歩いた。幼いころから聴く『夏の思い出』に誘われたこともあるのだろうけれど、盛り上がりを見せる自然保護運動の象徴的な地を踏みたいとの思いだった。鳩待峠を越え、山の鼻から尾瀬ヶ原を見晴まで歩き、日帰りした。ニッコウキスゲが咲いている季節、尾瀬ヶ原はすでに木道の整備が進み、大勢のハイカーが「こんにちはー」と挨拶を交わしながら行き交っていた。



尾瀬は明治期以来、その膨大な水を発電に使おうと、大規模なダム建設が計画されてきた。しかし檜枝岐村の人・平野長蔵氏が尾瀬沼畔に建てた「長蔵小屋」に一家で移り住み、ダム建設反対を訴え続けて50年が経ち、戦後の窮乏期に始まった「苔か電気か」論争も、ダム計画の凍結や道路開削の撤回が始まって「苔」が優位に立ち始めるようになっていた。燧ヶ岳と至仏山に挟まれた尾瀬ヶ原を往復しながら、私もすっかり「苔派」になったのだった。



日本の戦後復興は、経済の飛躍的発展に目が向きがちだけれど、尾瀬をめぐっての自然保護運動は環境保護や文化財保護などとも刺激し合い、日本人の社会観を成熟させる役割を果たしたのだと思う。世界2位だったGDPが、いつの間にか4位になっていることは喜ばしいことではないけれど、それ以上にそれぞれの分野で成熟度を上げ、いっそう洗練した社会を築いて行くことこそが、21世紀を生きる現役諸君の頑張るべき道なのだろう。



緑が一番美しい季節だ(と私は思う)からか、緑と澄んだ空気に包まれ、私の思考はいつになく素直であるようだ。だから尾瀬を守ってくれた先人たちの先見の明に深く感謝する。大自然が8000年かけて造り上げた泥炭層を、ダム湖に水没させては取り返しがつかなかった。長蔵さんは「この地をして永遠に静寂を失わしむることなくして独想―思索―瞑想する地たらしめよ」という言葉を残しているそうだ。私もしばし瞑想しよう。(2024.6.11)

































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