今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

436 東池袋(東京都)30年色はあせてもサンシャイン

2012-03-14 23:24:24 | 東京(区部)
池袋のサンシャインシティーにやって来たのは、何年ぶりになるだろう。その脇を通る首都高速は何度も利用しているから、サンシャイン60は見慣れたビルではあるけれど、ショッピング街を歩くのはどうやら30年ぶりになるようだ。そう考えて見渡すと、賑わっている商業ゾーンもそれなりの時の経過がくすみとなって滲んでいる。その時間は、東京での私の社会人生活とほぼ重なっている。まことに「くすむ」のも致し方あるまい。 . . . 本文を読む
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435 熱海(静岡県)梅園と光琳の梅ともに愛で

2012-03-06 15:47:51 | 静岡・山梨
梅を愛でに熱海に出かけることにした。もちろん熱海梅園にも立ち寄るつもりだけれど、目指す《梅》は尾形光琳の「紅白梅図」である。この国宝屏風を所蔵するMOA美術館が、毎年この時期に限って短期間、公開するのだ。私にとってはほぼ15年ぶりの対面なのだが、かつて鑑賞したとき以上に光琳の技量に感嘆させられ、心ゆくまで梅を愛でることができた。美術から受ける感銘は、どうやら年齢とともに変化するもののようである。 . . . 本文を読む
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434 新橋(東京都)宵闇と安酒が似合う路地の奥

2012-03-06 10:01:02 | 東京(区部)
芝・新橋のノスタルジック散歩を続け、御成門を横目に日比谷通りを「田村町」方向に歩く。この町名は西新橋の一部に名称変更されたのだけれど、私がこのあたりで暮らした昭和40年代初めころは、まだ「田村町」の方が通りがよかった。霞ヶ関にぶら下がる虎ノ門の天下り村の外縁で、大手町には居場所のない民間企業が本社を置くような街だった。そしてどういう理由か、本格的な中華料理店がいくつも店を構える通りだった。 . . . 本文を読む
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433 芝(東京都)半世紀ほろ苦くなり芝散歩

2012-03-06 09:28:18 | 東京(区部)
学生時代の1年余を「芝」で暮らしたことがある。正確には「新橋6丁目」なのだが、増上寺や愛宕山が散歩コースに含まれるあたりだったから、気分は「芝」の住人であった。下宿先を探していたら「会社の宿直室が空いているから」と、無料で提供してもらったのだ。日比谷通りに地下鉄はまだ開通しておらず、第一京浜に出ると都電が走っていた。銀座はほんの隣り街だから、下駄を鳴らして銀ブラしても違和感がない時代だった。 . . . 本文を読む
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432 六本木(東京都)バブル弾け蜘蛛がはびこるヒルズかな

2012-03-03 20:52:02 | 東京(区部)
この国にかつて、限りなく膨張したバブル景気があった、ということを懐かしみたいなら、ここ六本木ヒルズに来たらいい。その象徴であるメタボ・タワーは、尾花打ち枯らして蜘蛛の巣が張っているのかと思ったら、それは単なるモニュメントだった。それにしてもバブルの塔に蜘蛛を配するとは、絶妙なプロヂューサーがいたものである。だから奇才浮世絵師・歌川国芳の没後150年展がここで開催されることになったのか? . . . 本文を読む
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431 浅草(東京都)にょっきりと甍を超えてスカイツリー

2012-03-03 15:59:27 | 東京(区部)
塔が東京の風景を変えている。東京スカイツリーである。塔の足下の押上あたりの変貌ぶりに比べれば、浅草からは遠望ということになるけれど、それでも浅草寺の甍を越えて出現したツリーには驚かされる。だからといって浅草が浅草らしさを失うことはなく、恒例の新春歌舞伎が開幕する日、浅草寺界隈はいつもながらの賑わいをみせている。仲見世で飛び交う言語はいくつも種類があって、理解不能ながらみんな楽しそうである。 . . . 本文を読む
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