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「あぶらひ」と読む。滋賀県最南部の甲賀市の、そのまた最南東部にある山里で、山の向こうは三重県だ。三重県伊賀市の柘植駅で、関西本線を草津線に乗り換えると、最初の駅が油日である。私はここに来たかったのだ。そのために四日市から信楽までの5日間の旅を組んだ。油日以外はいずれも「ついで」なのだ。駅から2キロほど山に向かうと「油日神社」という古社がある。そこに所蔵されている「福太夫」の面が見たくてやってきたのである。
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神社の案内に、収蔵庫に入るには予約が必要とあったから、この日の午後2時ころに伺うと伝えてある。気がかりだったのは油日駅にロッカーが備えられているか、だった。相当くたびれてきた脚に、バックパックを背負ったまま30分ほど歩くことは考えたくもない。懸念した通り油日駅は無人だった。駅守りといった風情のお爺さんに「荷物を預けるところはありませんか」と尋ねると、「そんなものはないけれど、預かってもいいですよ」。
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旅先の親切は身に沁みる。身軽になって神社を目指す。タクシーならあっという間に到着するだろうが、私は歩きたいのである。歩くことによって坂道の傾きを確かめ、農家の軒先の花を愛で、構造改善事業の記念碑に地域の人々の生活史を考える。ウグイスやヒバリの伴奏を楽しみ、馬酔木の香りに咽せそうになる。正面の尖った峰が油日岳(693m)であろう。その昔、峰に「大光明」が灯ったことから、今に続く油日信仰が生まれたという。
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名を告げると若い神主はすぐに収蔵庫に案内してくれた。市立の歴史民俗資料館である。「福太夫」の面は特別な扱いをされることもなく、埃っぽい展示棚に収まっている。素朴というか粗野と言ってもいいような木肌に鑿の痕である。しかし鋭い手練れの作であることは間違いない。通常の面に比べ、眼が異様につり上がって、鼻梁は張り、唇の朱が生々しい。表情が動き始めそうだ。面裏に「永正5年 桜宮聖出雲作」とある。1508年のことだ。
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「あの本で?」と神主。「ええ、なかなか来られなくて、読んでから随分経ちました」と私。白洲正子著『かくれ里』のことを言っているのだ。同書に導かれてやって来る、私のような者が多いのだろう。同書は畿内を中心に、ひっそりと里の奥に守られ、ほとんど人口に膾炙していないできた寺社や文化財を、著者が独特の鋭い視点で紹介していくエッセイ集で、1970年ころに芸術新潮に連載されたものだ。私が好んで歩いた地域と「憧れ」に重なる。
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私は著者のことは写真でしか知らないのだが、どこか貴族的な冷淡さが感じられて、お近づきは遠慮したいお方である。とはいえ私などは全く知らない伝統芸能に関する知識や、「私は、すべての伝説を鵜呑みにするほど正直者ではないが、すべての伝説を否定するほど科学的になりたくはない」といった姿勢と文章力は素直に尊敬する。私の大和路遍歴ではずいぶん参考にさせていただき、気がつけば『かくれ里』のほとんどを訪ね歩いている。
油日神社は決して大社ではないけれど、境内は簡素な美しさに満ち、里人に大切にされてきたことが窺える。土地柄、甲賀武士団の信仰を集めたようだが、神社の発祥はそれよりはるかに古く、もはや歴史の霧の中である。来る途中、「油日神社神田」があった。「福太夫」の面や、やはり神社に伝わる「ずずい子様」は、「田祭り」に関係したものであろうと白洲氏は推測しているが、今は途絶えたこの神田の行事に登場していたのだろうか。(2021.4.3)
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(福太夫面。白洲正子著、野中昭夫写真『かくれ里』新潮社 より)
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神社の案内に、収蔵庫に入るには予約が必要とあったから、この日の午後2時ころに伺うと伝えてある。気がかりだったのは油日駅にロッカーが備えられているか、だった。相当くたびれてきた脚に、バックパックを背負ったまま30分ほど歩くことは考えたくもない。懸念した通り油日駅は無人だった。駅守りといった風情のお爺さんに「荷物を預けるところはありませんか」と尋ねると、「そんなものはないけれど、預かってもいいですよ」。
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旅先の親切は身に沁みる。身軽になって神社を目指す。タクシーならあっという間に到着するだろうが、私は歩きたいのである。歩くことによって坂道の傾きを確かめ、農家の軒先の花を愛で、構造改善事業の記念碑に地域の人々の生活史を考える。ウグイスやヒバリの伴奏を楽しみ、馬酔木の香りに咽せそうになる。正面の尖った峰が油日岳(693m)であろう。その昔、峰に「大光明」が灯ったことから、今に続く油日信仰が生まれたという。
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名を告げると若い神主はすぐに収蔵庫に案内してくれた。市立の歴史民俗資料館である。「福太夫」の面は特別な扱いをされることもなく、埃っぽい展示棚に収まっている。素朴というか粗野と言ってもいいような木肌に鑿の痕である。しかし鋭い手練れの作であることは間違いない。通常の面に比べ、眼が異様につり上がって、鼻梁は張り、唇の朱が生々しい。表情が動き始めそうだ。面裏に「永正5年 桜宮聖出雲作」とある。1508年のことだ。
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「あの本で?」と神主。「ええ、なかなか来られなくて、読んでから随分経ちました」と私。白洲正子著『かくれ里』のことを言っているのだ。同書に導かれてやって来る、私のような者が多いのだろう。同書は畿内を中心に、ひっそりと里の奥に守られ、ほとんど人口に膾炙していないできた寺社や文化財を、著者が独特の鋭い視点で紹介していくエッセイ集で、1970年ころに芸術新潮に連載されたものだ。私が好んで歩いた地域と「憧れ」に重なる。
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私は著者のことは写真でしか知らないのだが、どこか貴族的な冷淡さが感じられて、お近づきは遠慮したいお方である。とはいえ私などは全く知らない伝統芸能に関する知識や、「私は、すべての伝説を鵜呑みにするほど正直者ではないが、すべての伝説を否定するほど科学的になりたくはない」といった姿勢と文章力は素直に尊敬する。私の大和路遍歴ではずいぶん参考にさせていただき、気がつけば『かくれ里』のほとんどを訪ね歩いている。
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油日神社は決して大社ではないけれど、境内は簡素な美しさに満ち、里人に大切にされてきたことが窺える。土地柄、甲賀武士団の信仰を集めたようだが、神社の発祥はそれよりはるかに古く、もはや歴史の霧の中である。来る途中、「油日神社神田」があった。「福太夫」の面や、やはり神社に伝わる「ずずい子様」は、「田祭り」に関係したものであろうと白洲氏は推測しているが、今は途絶えたこの神田の行事に登場していたのだろうか。(2021.4.3)
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(福太夫面。白洲正子著、野中昭夫写真『かくれ里』新潮社 より)
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