奈良盆地の東縁を形成する山地を「大和高原」と呼び、そのほぼ中央部に都祁(つげ)という村がある。私はそこに行くたびに「これぞ残された日本の田舎」という感傷に襲われ、きまって心地よく癒される。それなのにある日、友人の運転で村を通過しながら、例によって「な、いいだろ! ナンカいいだろ」とテンションを上げる私に、友人は「何が! ただの田舎じゃないか」と素っ気無かった。無粋な友なのである。
確かに都祁は . . . 本文を読む
律令の時代以来、東北地方と呼ばれる広大な地域は、陸奥と出羽の2国に大別されていた。合わせて「奥羽」である。その大雑把さがいかにも「みちのく」にふさわしいともいえるが、それは大和朝廷の視点に立ってのこと。奥羽は独自の経済と文化を育みながら、群雄が覇を競う「もうひとつの日本史」を展開していたのである。そして中世、その統一と独立を掌中にしかかったのが藤原氏であり、その本拠の地が平泉であった。
陸中・ . . . 本文を読む
阿波踊りを踊り終えて徳島の街は、夢から覚めて虚脱の中にいるのではないだろうか。私は映像でしか観たことがないのだけれど、あの踊りのしぐさと人の波を眺めればおのずとその興奮が伝わってきて、街を包む熱気にいつも圧倒される。その街を私が訪れたのは、桜がちらほら蕾を開きかけたころで、市民はその樹の下で静かにお弁当を開いていた。全ては踊りの日へと、エネルギーを蓄積しつつあるのだろう。
小さな街である。徳島 . . . 本文を読む
東京のJR「品川駅」の所在地は、品川区ではなく港区になる。同様の例は山手線外回りの3駅先にもあって、「目黒駅」は目黒区ではなく品川区である。若いころ、このエリア担当になって先輩からまず引継ぎされたのがそのことだった。駅名は何に由って決められるのか知らないが、所在地に忠実に準じるのであれば、品川駅は「高輪駅」となることが順当であった。久しぶりに高輪に行って、そんな記憶を懐かしんだ。
ドック検診の . . . 本文を読む
大型の研修船に乗って湾内をぷかりぷかりと漂っていたのでは、「この街にいます」と言うわけにはいかないけれど、洋上で2泊もしたのだからそこは何とか許容していただくとして、これは駿河の国は駿河湾でのお話。台風5号の接近によるうねりが到達しつつあったとはいえ、駿河湾はあくまで穏やかに晴れ渡っていた。伊豆半島あたりにはさっと一雨あったらしく、虹が天空の彩りとなって、それはもう、のんびりと優雅な時を過ごして . . . 本文を読む
富士山に登ったのは1994年の8月13日だった。当時、山頂には富士山測候所が白いドームを輝かせていた。あれから13年を経て、測候所は役目を終えて閉鎖され、施設は撤去されたはずである。山頂の景色はポイントを失ったかわりに、自然の持つ荒々しい姿を取り戻したかもしれない。しかしこの夏も、きっと混雑していることだろう。お山を仰ぎ見るにつけ、人はみな、その頂に立ってみたいと思うからである。
富士宮口の5 . . . 本文を読む
阪神大震災が発生した時刻、私は静岡市内の社宅マンションでその揺れを感じていた。まさかあれほどの大惨事が進行しているとは思いもよらず、「東海地震ではないな」と安心して再び眠りこけてしまったのだった。そのころの2年間、私は静岡で暮らしていた。単身赴任である。静岡は、私の人生では比較的馴染みの深い土地になったのであるが、その程度の経験で「街が分かった」などということはできない。
どんなにその地での暮 . . . 本文を読む
新潟市の西郊に「佐潟(さかた)」という湖沼がある。訪ねた日、空はどんよりと雲に覆われていたけれど雨にはならず、無風状態であった。潟の中央部にはハスが群生し、緑が密生する中にピンクが乱舞している。そんな湖面に潟舟を漕ぎ出してもらった。音が消えていくことで、岸が遠のいているのだと知れる。そしてハスの群落に分け入って、自分が包まれているえもいわれぬ芳香に気がついた。こうした体験が浄土という観念を生む契 . . . 本文を読む
鳥羽湾をクルーズする贅沢な旅から帰って、悔やんでいることがある。九鬼水軍の城跡と鳥羽の市街地を歩いてみなかったことだ。水族館前の高台に市役所があって、そのあたりが城跡だと後に聞いた。訪ねていれば、海上から眺めた風景とはいささか異なる街の景色に出会えたかも知れない。そんな思いは残るものの、九鬼一族がこの複雑な海を支配したのは遠い昔のこと。現代の殿様といえば真珠王・御木本幸吉翁か、水族館の人気者ジュ . . . 本文を読む