京都に詳しい妻の知人が「平野神社がすてきよ」と教えてくれたという。初めて聞く名前だが、早咲きの桜で有名らしい。旅の最終日、荷物を今出川駅に預けて行ってみる。前日の地元ニュースで「平野神社の魁が咲き始めました」と伝えていたからだろうか、結構な人出である。それにしても「魁」とは何か。この地固有種の枝垂れだそうで、門前に華やかな姿を見せている。魁が満開になると、京の桜は一斉に咲き始めるのだという。
私は聞いたことのない神社だったが、平安遷都とともに鎮座した、大変な格式であるらしい。重要文化財の本殿は、中門の奥から屋根だけを覗かせているが、平野造りと呼ばれる二棟四殿の様式は珍しく、私は初めて見る形式である。ただ建物全体に威圧的なところは無く、舞台のような独立した拝殿を囲む境内は、右近の桜・左近の橘が程よく配置されて、どこか女性的な優しさを感じる。魁桜のおかげで、京の花見を満喫した気分だ。
平野神社の参道を後にすると、北野天満宮の裏門が現れる。神社の多くは出入り自由なところがいい。梅の花がまだたくさん残る境内をのんびり歩く。この時期、参拝している人々は、祈願成就のお礼参りであるらしい。だから合格祈願の際に境内にみなぎるであろう切迫感はない。みんな笑顔で賽銭を奮発しているようだ。こうやって京の春は、深まって行くのだろう。私は合格も祈願ももう無用だから、ニコニコ笑って眺めているだけだ。
子供のころの私の遊び場の一つに、近所の天神さまがあった。小さいながら神社の体裁は整い、祭りの時は境内で子供相撲が開催された。北陸の小さな街でのことだ。あの天神さまも、北野のここから分霊を勧請していただいたわけだ。町名を「学校町」といったのは、高校や小学校が並んでいたからだと思っていたが、ひょっとするとあの天神さまが街の真ん中に鎮座していたから「学問町」だったのかもしれないと、今になって思い付く。
電車も地下鉄も乗ったから、バスにも乗ってみようと天神さん前から西陣までバスに乗る。観光客より市民の利用が圧倒的に多いようで、車内は満員である。バス路線は充実しているのだが、その混雑がこの街の悩みらしい。平安京の条里をよく残す京都は、メイン通りは結構広い。大戦末期に火除け地として強制的に拡幅された遺産なのかもしれない。ではそれらの道路を活用して、トラムを縦横に走らせたらどうだろうか、と考える。
行って来たばかりのウィーンを思い出している。ウィーンの歴史地区も、リングと呼ばれる城壁跡の広い道路があったから、トラム網が実現した。これが観光客には実に便利だし、市民はバスと併用してマイカー無用の生活をしている。京都の場合、おそらく景観論争が起こってすったもんだすることだろうが、古都に相応しいデザインのトラムがすいすい往き交う姿を想像すると楽しい。ちなみにウィーンの新型トラムはポルシェデザインだ。
西陣を歩いてみる。機織りの音は聞こえなかったが、染色会社があったりで、織物の街らしい路地が続く。会館に展示されている織り機の設計図は、複雑怪奇である。レンタル和装の外国人観光客も、残念ながらここまでは押し寄せない。それにつけても京都の町名は分かり易い。内裏の北側の野だから「北野」、応仁の乱の西の本陣跡だから「西陣」なのだそうだ。日本史は全てここで起こり、この街で完結しているという感覚だろうか。(2017.3.30)
私は聞いたことのない神社だったが、平安遷都とともに鎮座した、大変な格式であるらしい。重要文化財の本殿は、中門の奥から屋根だけを覗かせているが、平野造りと呼ばれる二棟四殿の様式は珍しく、私は初めて見る形式である。ただ建物全体に威圧的なところは無く、舞台のような独立した拝殿を囲む境内は、右近の桜・左近の橘が程よく配置されて、どこか女性的な優しさを感じる。魁桜のおかげで、京の花見を満喫した気分だ。
平野神社の参道を後にすると、北野天満宮の裏門が現れる。神社の多くは出入り自由なところがいい。梅の花がまだたくさん残る境内をのんびり歩く。この時期、参拝している人々は、祈願成就のお礼参りであるらしい。だから合格祈願の際に境内にみなぎるであろう切迫感はない。みんな笑顔で賽銭を奮発しているようだ。こうやって京の春は、深まって行くのだろう。私は合格も祈願ももう無用だから、ニコニコ笑って眺めているだけだ。
子供のころの私の遊び場の一つに、近所の天神さまがあった。小さいながら神社の体裁は整い、祭りの時は境内で子供相撲が開催された。北陸の小さな街でのことだ。あの天神さまも、北野のここから分霊を勧請していただいたわけだ。町名を「学校町」といったのは、高校や小学校が並んでいたからだと思っていたが、ひょっとするとあの天神さまが街の真ん中に鎮座していたから「学問町」だったのかもしれないと、今になって思い付く。
電車も地下鉄も乗ったから、バスにも乗ってみようと天神さん前から西陣までバスに乗る。観光客より市民の利用が圧倒的に多いようで、車内は満員である。バス路線は充実しているのだが、その混雑がこの街の悩みらしい。平安京の条里をよく残す京都は、メイン通りは結構広い。大戦末期に火除け地として強制的に拡幅された遺産なのかもしれない。ではそれらの道路を活用して、トラムを縦横に走らせたらどうだろうか、と考える。
行って来たばかりのウィーンを思い出している。ウィーンの歴史地区も、リングと呼ばれる城壁跡の広い道路があったから、トラム網が実現した。これが観光客には実に便利だし、市民はバスと併用してマイカー無用の生活をしている。京都の場合、おそらく景観論争が起こってすったもんだすることだろうが、古都に相応しいデザインのトラムがすいすい往き交う姿を想像すると楽しい。ちなみにウィーンの新型トラムはポルシェデザインだ。
西陣を歩いてみる。機織りの音は聞こえなかったが、染色会社があったりで、織物の街らしい路地が続く。会館に展示されている織り機の設計図は、複雑怪奇である。レンタル和装の外国人観光客も、残念ながらここまでは押し寄せない。それにつけても京都の町名は分かり易い。内裏の北側の野だから「北野」、応仁の乱の西の本陣跡だから「西陣」なのだそうだ。日本史は全てここで起こり、この街で完結しているという感覚だろうか。(2017.3.30)
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