![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/a0/966c0078438d4851f9dabc36235cce28.jpg)
輪島市街から半島先端方向へ、国道249号線を10余キロ行くと、海の中に建つ鳥居が見えて来る。対する山側は神社への石段が続き、周囲にわずかな集落が固まっている。鳥居の隣りに「御陣乗太鼓之地」と彫られた碑がなければ、能登の至る所にある小さな入り江の漁村に過ぎないと、通過するところであった。誰にも話したことはないのだが、私はこの奥能登の御陣乗太鼓ほど恐ろしいものはないと、密かに怖れ続けて来たのである。
「本物」に接するのは前夜、旧輪島駅での無料公演が初めてだったのだが、映像でこの踊りを最初に観たのは小学生のころだったと思う。私はその面妖な面と髪に息を飲み、襤褸をまとった「狂った幽霊」の乱舞に凍り付いてしまったのだった。なかでも怖かったのは、青白く痩せて眉根に皺を寄せ、黒い髪をバラバラと振り乱す踊り手だった。どうやら「女幽霊面」と呼ぶようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/87/f394fb8d4ce051df54c0b5d79bcd7a1a.jpg)
私の郷里に近い佐渡島にも「鬼太鼓(おんでこ)」という似た伝統芸能がある。能登と佐渡だから、相通じる風習が基になっているのだろうと考えて来たのだが、全く異なる出自らしい。能登は435年前、この名舟集落にまで攻めて来た上杉勢に対し、とっさに木の皮と海草で幽鬼さながらに変身し、太鼓を打ち鳴らして狂乱した住民の機転が発祥なのだという。戦国一の精鋭軍団といわれる上杉軍を追い返したというのだから素晴らしい。
佐渡の鬼太鼓も恐い鬼の面を付けて太鼓を叩くのだが、むしろ華やかでちっとも怖くない。なぜ能登が怖くて佐渡は平気なのか、我ながら奇妙に思って来たのだが、それは鬼と幽霊の違いなのだと気が付いた。鬼は人ではないから、どんなに恐ろしい形相をしても「アアそうですか」だ。しかし幽霊となるとそうはいかない。元は自分と同じ人間でありながら、成仏できない魂が死後に踊り狂っているのである。こんなに怖いことはない。
地元には御陣乗太鼓保存会が組織されていて、20人ほどのメンバーが能登の親善大使になったつもりで頑張っているのだとか。農漁業に取り組んでいる人や輪島塗の蒔絵師など伝統工芸を本業とする人たちが、大切に踊りの作法を護っている。夜ごと輪島の観光客をもてなしてくれるのも、地域への愛着にほかなるまい。私の隣りで地元の幼児がバチを手にはしゃいでいた。成長した後は、幽鬼たちの頼もしい後継者になることだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/08/c2bc4055cd0a7a031268edc832a9524d.jpg)
さて、私も少しは成長したのだろう、この旅で観た公演では、凍り付くほどの恐怖は感じなかった。ただそれは、会場が観光用のホールだったからかもしれない。背景はくたびれた天幕だけというのだから、あれでは演者が可哀想だ。せめて怒濤吹きすさぶ日本海のパネルを設置するなど、観光輪島にはもう少し頑張ってもらわねばならない。それと怖さを減殺したのは、皆さん充分に健康体だったからだろう。太った幽鬼は凄みに欠ける。
夏の名舟大祭では4台のキリコが繰り出し、御陣乗太鼓がスパークする。世帯が100戸に満たない小さな集落で、こうした伝統行事が続いているのは奇跡であろう。それほどこの舞いは演出に優れているということだ。
旧輪島駅は、10年前に廃線となった「のと鉄道七尾線」の駅舎跡だ。保存ホームには「次はシベリア」と落首され、終着駅であることに改めて「半島」の暮らしを思う。レールが撤去された際の市民の寂しさが、押し寄せて来るような夜のプラットホームだった。(2011.10.1)
「本物」に接するのは前夜、旧輪島駅での無料公演が初めてだったのだが、映像でこの踊りを最初に観たのは小学生のころだったと思う。私はその面妖な面と髪に息を飲み、襤褸をまとった「狂った幽霊」の乱舞に凍り付いてしまったのだった。なかでも怖かったのは、青白く痩せて眉根に皺を寄せ、黒い髪をバラバラと振り乱す踊り手だった。どうやら「女幽霊面」と呼ぶようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/87/f394fb8d4ce051df54c0b5d79bcd7a1a.jpg)
私の郷里に近い佐渡島にも「鬼太鼓(おんでこ)」という似た伝統芸能がある。能登と佐渡だから、相通じる風習が基になっているのだろうと考えて来たのだが、全く異なる出自らしい。能登は435年前、この名舟集落にまで攻めて来た上杉勢に対し、とっさに木の皮と海草で幽鬼さながらに変身し、太鼓を打ち鳴らして狂乱した住民の機転が発祥なのだという。戦国一の精鋭軍団といわれる上杉軍を追い返したというのだから素晴らしい。
佐渡の鬼太鼓も恐い鬼の面を付けて太鼓を叩くのだが、むしろ華やかでちっとも怖くない。なぜ能登が怖くて佐渡は平気なのか、我ながら奇妙に思って来たのだが、それは鬼と幽霊の違いなのだと気が付いた。鬼は人ではないから、どんなに恐ろしい形相をしても「アアそうですか」だ。しかし幽霊となるとそうはいかない。元は自分と同じ人間でありながら、成仏できない魂が死後に踊り狂っているのである。こんなに怖いことはない。
地元には御陣乗太鼓保存会が組織されていて、20人ほどのメンバーが能登の親善大使になったつもりで頑張っているのだとか。農漁業に取り組んでいる人や輪島塗の蒔絵師など伝統工芸を本業とする人たちが、大切に踊りの作法を護っている。夜ごと輪島の観光客をもてなしてくれるのも、地域への愛着にほかなるまい。私の隣りで地元の幼児がバチを手にはしゃいでいた。成長した後は、幽鬼たちの頼もしい後継者になることだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/08/c2bc4055cd0a7a031268edc832a9524d.jpg)
さて、私も少しは成長したのだろう、この旅で観た公演では、凍り付くほどの恐怖は感じなかった。ただそれは、会場が観光用のホールだったからかもしれない。背景はくたびれた天幕だけというのだから、あれでは演者が可哀想だ。せめて怒濤吹きすさぶ日本海のパネルを設置するなど、観光輪島にはもう少し頑張ってもらわねばならない。それと怖さを減殺したのは、皆さん充分に健康体だったからだろう。太った幽鬼は凄みに欠ける。
夏の名舟大祭では4台のキリコが繰り出し、御陣乗太鼓がスパークする。世帯が100戸に満たない小さな集落で、こうした伝統行事が続いているのは奇跡であろう。それほどこの舞いは演出に優れているということだ。
旧輪島駅は、10年前に廃線となった「のと鉄道七尾線」の駅舎跡だ。保存ホームには「次はシベリア」と落首され、終着駅であることに改めて「半島」の暮らしを思う。レールが撤去された際の市民の寂しさが、押し寄せて来るような夜のプラットホームだった。(2011.10.1)
夜に海辺にあつまり、松明と波の音をBGMに皆で待っていると鬼の面を被った人達が「テテンテン、テテンテン,テテンテンテテ、テテンテン」と代わる代わる太鼓を叩きながら踊っていた覚えがあります。
ホールの中では味わえない雰囲気でしたよ