今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

1075 鹿島灘(茨城県)陽光の灘の向かいはモントレー

2022-12-20 17:38:17 | 茨城・千葉
「灘」とは「風波が荒く航海の困難な海」のことだそうで、海上保安庁の水路図誌には14ヶ所が挙げられているという。図誌に目を通したわけではないから正確なことは書けないけれど、「鹿島灘」は大洗岬から房総の犬吠埼までの、茨城県の海岸線の南半分ほどを言うらしい。 全国14の灘のうち、最も東かつ北に位している。私はその海を、大洗マリンタワーの60メートル上空から眺めている。「風波が荒く」など想像できない穏やかさだ。 . . . 本文を読む
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1074 鹿島(茨城県)神様は待宵の月に照らされて

2022-12-18 16:07:32 | 東京(区部)
満月が神宮の森を包んでいる。常陸風土記が「香島の天の大神」と語る鹿島神宮である。鳥居の奥の楼門はライトアップされてひときわ輝き、千年の梢が黒いシルエットになって天を衝く。夜にも参拝する人たちはいるようで、本殿に近づくと黒い影がフッと動いて驚かされる。神も仏も信じない私だけれど、神域の森閑とした佇まいは好きだ。古くは軍旅の防人が、そして後に多くの武人や旅人が「鹿島立ち」して行った。私はここで何をしているのか。 . . . 本文を読む
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1073 香取(千葉県)水郷は海だったのだよと鳥が舞い

2022-12-16 15:35:25 | 茨城・千葉
広大な関東平野を下った流水が集まり、海への出口を探っているあたりだから、あちこちに大きな「水溜り」が形成されるのは当然だったろう。長兄格が霞ヶ浦(西浦)だとすれば次男は北浦、そして末っ子が外浪逆浦(そとなさかうら)とでもなろうか。印旛、手賀、牛久などの沼々は従兄弟のようなものだ。いったん留まった膨大な水は、結局は利根本流に纏められ、銚子で太洋に注ぐ。人々は内海の入口に当たる南と北に神を祀り、世界の守りとした。 . . . 本文を読む
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1072 成田(千葉県)お不動に行って来ますとジェット便

2022-12-14 11:13:48 | 茨城・千葉
駅から続く参道は歩道が拡張されつつあるようで、実に歩きやすい。ところが途中から狭くなって唐突に下り坂になる。気がつくと前方に、寺院の大屋根と丹塗りの塔の甍が望まれる。あれが成田山新勝寺であろう。参道の人波が増え始め、ずっと纏わりついている鰻を焼く匂いも濃さを増してきたようだ。江戸・葛飾で水戸街道から分かれ、市川や船橋の宿場を経由してきた成田街道は、佐倉の城下を経てようやく目的地にたどり着いたわけである。 . . . 本文を読む
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1071 佐倉(千葉県)通勤の武士が行き交う古径なり

2022-12-11 09:06:42 | 茨城・千葉
「武家屋敷街」を残す旧城下町は、全国に結構ある。旅の記憶を巻き戻すと、横手、角館、毛馬内、新発田、金沢、篠山、唐津、竹田、飫肥、知覧など、地域に根付いた佇まいが次々と浮かんで来る。堀田家11万石の北総・佐倉にもそうした通りが残り、往時の生活そのままの屋敷が並んでいる。150年ほど遡れば、侍や家族が行き来していた道だ。「佐倉の原風景と文化を後世に伝える」ことを目的に、地元の人たちが心を込めて活動しているらしい。 . . . 本文を読む
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