晩秋の金沢で、3人の女性に出会った。近江町市場を抜けた所のおばあさんに道を尋ねると「近くだから」とどんどん案内してくれた。70歳は超えている。その先の庭を掃除していたおばさんは60代だろうか、「雪釣りはね、雪の重みを受け止めるように、少し緩く張っておくの」と適切に解説。バイキング形式のレストランで注文を取りに来たウエートレスは50代か。「自分で取っていいのは1回切りですよ」と4回繰り返した。
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霜月が師走にバトンタッチするころ、北陸を旅して好天を期待するようでは素人である。特に海に近いあたりは、本格的な降雪が始まる年末年始のころまで、暗く厚い雲の下で横殴りの霙(みぞれ)に耐えるのである。しかし私が新潟市に出かけた日、天は久しぶりの帰郷を祝ってか、まばゆいばかりの日差しをプレゼントしてくれた。そこで私は西郊の小針という駅に降り、日本海に向かってしばらく歩いて丘に登った。
「シオンの丘」 . . . 本文を読む
長岡と聞いて京都や伊豆を思い浮かべる人もいるだろうが、私にとってはやはり信濃川、長生橋、三尺玉、そして「米百俵」の長岡である。新潟市を生まれ故郷とする私は、「長岡は新潟より小さな街だ」と、意味もない優越感を抱く嫌らしい子どもだったのだが、長岡の城下町としての歴史や人材がおぼろげながら気にかかり、内心「新潟よりも立派なところではないか」と、いつも気になっている街でもあった。
昭和39年の新潟国体 . . . 本文を読む
歴史が浅いからか、あるいは寒冷地だからか、「清潔」という軸を用いた場合、札幌は日本の都市の中で最右翼に位置するのではないだろうか。人間の活動の集合体である都会は、否応なく「澱」が溜まる。清潔であるとは、その澱が薄いということにほかならない。そのことが都市としての魅力に欠けるかどうかは人それぞれで、私のように、日常が「澱の中」を漂っているごとき生活者にとって、この街の清潔感は好もしい。
札幌は人 . . . 本文を読む
「温暖」と「寒冷」の地、選択が可能ならどちらを生活の場として選ぶだろう。私は多分「温暖」の地へとなびくのだろうが、しかしいろいろな意味で北欧が人気スポットであるように、日本でも北海道で暮らしたいという人は多い。確かに「寒冷地」から来る清澄なイメージはなかなか魅力的である。その代表的な街が旭川ではないだろうか。よけいなものはすべて凍り付き、削ぎ落とされて澄みわたっている、のではないか?
寒さ、か . . . 本文を読む