桐生の目抜き通りなのであろう本町通りを歩いていると、ビルの前でおばさんが鉦を鳴らし始めた。何ごとかと覗き込むと、おじいさんが出て来て「さあどうぞどうぞ」と拉致せんばかりの勢いで招き入れられた。薄暗いホールの奥がステージになっていて、そろいの法被姿の集団がすでに並んでいる。「さあ、やるぞ」のかけ声とともに太鼓、笛、鉦がいっせいに響き始め、ステージ脇からは、スルスルといなせな女性陣が繰り出して来た。 . . . 本文を読む
舗装に関しては、日本の道路はほぼその整備を完了したのではないか。めったに人が通りそうもないのに簡易舗装されている田んぼ道に差し掛かった時など、つくづくそう思う。ちょっとした街では歩道の分離が進み、並木も増えた。だがそれで歩行が快適になったかといえば、必ずしもそうではない。狭い歩道に電柱が立っていたり、自転車がちょろちょろうるさい。舗装を終えた道路の次なるテーマは、自転車問題と電線地中化であろう。 . . . 本文を読む
海を眺める若者の腰の据わりが悪い。こわごわと覗き込んでいる様子なのである。もう一人は顔を出すのも恐ろしいとばかり、しっかり握った手すりから離れようともしない。伊豆半島東海岸の中ほど、相模灘に張り出したここは伊東市城ヶ崎海岸の門脇崎だ。崖の高さは20㍍ほどらしいから、それほど怖がることはないと思うのだが、半島先端の石廊崎や、西海岸の黄金崎に匹敵する荒々しい海岸線だ。深く澄んだ蒼い海も凄みがある。 . . . 本文を読む
町内全域を会場にした美術展が開催中だというので、群馬県北西部の山あいの町・中之条へと出かけてみた。2年に一度、内外のアーティストを招いて町内の空き店舗や公園、廃校跡などに作品を展示、今回で3回目になるという。こうしたBiennale形式の美術展は、おおむね前衛かつ観念過多の作品が登場するものだから、もとより理解不能は覚悟の上でやって来たのだが、その訳の分からなさが、寂れた街に奇妙な刺激を与えていた。 . . . 本文を読む
伊豆の観光が斜陽だと指摘されて、どのくらいになるだろう。日本経済のバブル崩壊に先行して、客足が急速に落ちて行ったのではなかったか。それは伊豆に留まらず、多くの温泉地共通の現象だったが、伊豆の凋落が目立ったのは、首都圏の奥座敷的立地へのおごりからか、海外に行くより高くつくという業者の際限ない欲が客離れを誘発したからであろう。善かれ悪しかれ伊豆は、日本人の余暇嗜好を映し出す鏡のような行楽地である。 . . . 本文を読む
私は2年間、静岡で暮らしたことがある。豊かな自然と歴史に恵まれた土地だから、ずいぶんとあちらこちらに出かけたものだった。しかしもちろん、くまなく歩けたわけではなく、心残りの場所もたくさんある。伊豆半島の付け根付近の《大瀬崎》もその一つだ。海に細々と延びた瀬であるにも関わらず、その内にある池は淡水なのだという。息子たちが招待してくれた伊豆旅行で「行ってみたい」と言うと、即座に車はその方向を目指した。 . . . 本文を読む
沼津港の一角に「港口」という公園があって、よく晴れた日中、松林の木陰で若者たちが猫と戯れていた。東京と湘南からやって来て、沼津で落ち合った兄弟なのだという。猫好きらしく、抱いたり撫でたり飽きもせず楽しんでいる。4人のうち一組は夫婦で、双子も一組いるというが、みんなよく似ている。父親を伊豆の温泉に案内する途中だとか。果報者の父親がいたもので、そんな旅行に伊豆はよく似合う。沼津はその玄関である。 . . . 本文を読む
秋川渓谷に出かけることになったきっかけは、「その川筋のどこかに、レストランとギャラリーを併設するとっても素敵なペンションがあるんですって!」と、彼女が聞き込んで来たからである。手がかりはその「どこか」しかなかったけれど、ようやく所在を探し当て予約を入れると「場所はボンボリです」という。「雪洞」かと思ったら「盆堀」という川のほとりだとか。多摩川の支流秋川の、そのまた支流にそんな名の川があるのだという。 . . . 本文を読む
「檜原街道」という道路標識を見かけ、檜原村に行きたくなった。東京で、島を別にすれば唯一の「村」である檜原とはどんなところか、かねがね興味があったからだ。村であるということは、人口が自治体単位では最も少ない範疇になるということで、しかも面積のほとんどを山と森が占めているのだろう。しかしそこに人々の暮らしがある以上、街は生まれるものだというのが私の持論でもある。「数馬行き」のバスに乗り込んだ。 . . . 本文を読む
立川で中央本線を青梅線に乗り換え、五つ目の駅・拝島でさらに五日市線へと乗り継ぐ。そうやって秋川渓谷へとやって来たのだが、このJRの路線をたどることは、多摩川を遡って支流の秋川の谷に入って行くそのままの道筋なのである。そして終着の武蔵五日市駅で降りる。かつては「五日市町」といったが、今は隣りの秋川市と合併して「あきる野市」である。都心から1時間少々でありながら、何やら山里の風情が濃くなっている。 . . . 本文を読む
滋賀県の人たちは、郷土を指して「湖国」と呼ぶ。琵琶湖の国という意味なのだろう。県民が手をつなぎ、優しく湖水を抱いているような、晴れ晴れとした誇らしさが伝わって来る。私も「日本を歩いて、良かったのは何処?」などと尋ねられると、まず「近江」を挙げることが多い。暮らすには静かで穏やかで、文化の層が厚そうだ。旅をするには歴史が堆積し、空が広く、緑が濃い。そしてどこか寂しい。湖国は敗残の地でもあるのだ。 . . . 本文を読む
熱暑の中を湖東から、時計回りに琵琶湖周“行”の旅を続けて4日目、私たちは湖北の中心都市・長浜に到着した。ここから竹生島に渡るつもりでクルーズの予約をしておいたのだが、船は台風の影響で終日欠航ということだった。高校生らしき女の子たちが歩道に陣取り街をスケッチしている。「絵の授業?」「美術部でーす!」。そうか今日は休日かと、市中散歩に徹することにした。さすがの日差しも雨雲に遮られ、久しぶりに凌ぎよい。 . . . 本文を読む