今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

912 根来(和歌山県)秋の陽に根来大塔ぬくもれり

2020-11-24 14:07:24 | 奈良・和歌山
年が明ければ後期高齢者の仲間入りをする私だから、これまでにずいぶん多くの神社仏閣に詣でてきたことに不思議はなかろう。いささか奈良大和に偏っているというのも、私の嗜好からしておかしなことではない。それでもなお行き残していると気がかりな寺の一つに根来寺があった。その存在を記憶したのはおそらく小学生のころだと思うから、ずいぶん長い間、気にかけていたことになる。秀吉と戦った根来衆を、子供心に応援したのである。



JR和歌山線を岩出駅で降り、路線バスを待ってたどり着く。北面を和泉山脈が塞ぎ、南は紀ノ川が守る、南に開けた土地である。境内のどこかに「本寺は僧兵と鉄砲が有名ではあるけれど、本来、学問寺なのである」といったことが書いてあった。私のような根来衆かぶれを戒めようというのだろうが、齢を重ねた私はさすがに「高野山の学僧・覚鑁(かくばん=1095-1144)が金剛峰寺から別れ、新義真言宗の本山とした」くらいの知識は増えている。



40歳にして金剛峰寺の座主に就いた覚鑁は、空海が没して300年になる高野山の改革に乗り出すものの守旧派と対立、結局は高野山を離れる。何があったか私にはわからないけれど、利権に固執する守旧派の策に落ちたのであろう。世評は根来寺を善しとし、最盛時の寺領は72万石に上ったという。のちの紀州徳川家の55万石と比べても、その威勢は大変なものだったことがわかる。室町末期の根来は、高野山を凌ぐ一大宗教都市であった。



今、そのことを思い浮かべるのは難しい。緑豊かな緩やかな坂道を登って行くと、大門が現れ塔頭が点在し始める。しかし甍と甍の間の空間には畑地が広がり、春先の新緑を歩いたらさぞや気持ちよさそうだ。そして小道が国宝の大塔へと誘う。この塔が実にいい。バランスがいいのだ。巨大な建造物に対面して、これほど落ち着いて眺めて居られることはそう多くない。この日は空が青一色であることも幸いした。あゝ来てよかった、と息をつく。



「根来」を気にかけ続けたのは根来衆のことだけではない。「根来塗」があるからだ。私は漆器の知識に乏しい。汁物はお椀で食べ、お盆も塗りものを用いるという、昔ながらの日本の生活を続けてはいるものの、漆器が好きだからというわけではない。輪島でも山中でも会津でも、漆器に出会うとその美しさにうっとりすることはあるけれど、欲しいとまでは思わない。だが根来塗りの、下地の黒が朱に浮かぶ様は、昔から心惹かれる造形なのである。



境内の目立たない地に「根来塗発祥地」の碑がある。その近くに塗りの看板を立てかけたプレハブの小屋があったので覗くと、「どうぞどうぞ」とおじいさん2人に招き入れられる。戸惑う私に奥から現れた妙齢の女性が「いらっしゃいませ」とおっしゃる。根来塗りの工房兼体験教室なのだった。先生はその女性、爺さんらは生徒らしい。「作家はここでは2人だけになりました」とか。並べられた先生の作品の椀は、私に手の出る値ではなかった。



根来寺の在所は岩出市になる。大阪のベッドタウン的な立地で、関西国際空港の開業で人口が増加、5万人を超えて15年前に町から市に移行した。駅周辺はあまりにわびしく呆然としたのだが、根来寺エリアには市政施行を機に建てられた図書館や、町の時代からある民族資料館が整備されている。小さな街が頑張って運営している文化施設だ。学問寺を目指した覚鑁だから、こうした施設に寺域が活用されて喜んでいるだろう。(2020.11.18)


















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