「松島」といえば「日本三景」であるが、それはもはや過去の話である。「天橋立」や「安芸の宮島」はともかく、松島はもう終わりである。さまざまな形をした島々が松の緑に覆われて、蒼い海に点在する風景は相変わらず美しいのだが、その向こうに2本の巨大な煙突が建ち、赤と白の模様で水平線を乱した時点で「三景」の資格を失った。芭蕉翁の意見も聞いてみたい気はするが、ここは権威ある機関によって速やかに「新日本三景」選 . . . 本文を読む
風光明媚な地に身を委ねたい・・・という欲求は、人間誰しもが抱く感情ではないかと思うが、それはなぜなのだろう? 景色が美しいからという理由で時間と費用をかけ、遠路出かけてきて「うわー綺麗!」などとはしゃいでいる姿は、そこを住処とする鹿や猿から見れば滑稽なことであろう。しかし人間にとってはそれで十分なのであって、木漏れ日を浴び、フィトンチッドを吸い込んで、機嫌よく雑踏へと帰るのである。十和田湖帰りの . . . 本文を読む
富山県人の知り合いは余り多くない。そのわずかな人たちは偶然だろうか、奇妙な共通項がある。個性的といえばその通りなのだが、むしろ「アクが強い」と言ったほうが早い。頭脳明晰な善人ではあるのだけれど、そのことを知られることを恥じているようなところがある。そしてどこか角張っていて皮肉っぽく、権威に迎合しないが敢えて反発もしない。たまたま私が知り合った富山県人に偏りがあるのか、あるいは案外、そうした県民性 . . . 本文を読む
東京・巣鴨の地蔵通り商店街といえば、「おばあちゃんの原宿」とか呼ばれて全国的に名を馳せている商店街である。駒込庭園散歩を楽しんでいた私たちは、いつの間にか染井霊園に迷い込み、有名無名の人たちの墓を眺めながら神妙な気持ちになっていたのだが、その霊園も終わって広い道を渡ると、寺の裏らしき広場に出た。露店がたくさん並んでいて、赤い色も毒々しい下着が山積みされている。そこが「とげぬき地蔵」の高岩寺であっ . . . 本文を読む
東京はメガロポリスだけあって、「小さな旅」の適地にこと欠かない。特にリタイア世代が、夫婦(別に夫婦でなくともよいが)で「ちょっと遠めの散歩」をするにはふさわしいコースがいくつもある。山手線の駒込駅を拠点にして「六義園」(写真・上)や「旧古河庭園」(写真・下)を廻る庭園散歩も、お奨めのひとつだ。ただし注意しなければならないのは、ベストシーズンともなるとオバ様たちの団体と鉢合わせする「危険」が増し、 . . . 本文を読む
東京都下の国分寺市は、奈良時代に武蔵野国の国分寺が建てられたところなのだろう。だがとりあえずそうしたことはパスさせていただいて、国分寺駅で西武線から中央線に乗り継ぐついでに、駅前にある「殿ケ谷戸庭園」を訪ねたことを書く。ここは「都の名勝」に指定されている庭園ということだが、もともとは満鉄副総裁の別邸だったのだという。国策会社のナンバー2になると、こんな私邸を構えることのできる時代があったのだとい . . . 本文を読む
東京は江戸城を中心に、道路も鉄道も放射状に延びているものだから、郊外になればなるほど放射角の幅は拡大していって、同じ東京でありながら縁の薄い地域が生ずることになる。私にとって東久留米、東村山、清瀬、東大和、武蔵村山といった、都西北部一帯はまさにそうしたエリアで、東京で40年余を暮していながらほとんど土地鑑がない。だからその東村山市にある「国立ハンセン病資料館」を訪ねるにも、地図とネットで路線を確 . . . 本文を読む
直江津から高田へ、頚城平野の西郊を「加賀街道」が南へ延びる。かつて加賀百万石の殿様が、参勤交代で江戸に上った街道だ。その中ほどに「春日山」がある。上杉謙信の居城「春日山城」の地である。つまり直江津―春日山―高田は、古代律令の国衙跡から中世戦国の城砦跡、さらには近世封建制の城下町へと、遺構・文化財が連続する稀有の歴史街道なのである。なかでも「春日山」は、合併を繰り返してきた上越市に於いて最も流布し . . . 本文を読む
高田は雪国越後でも突出した豪雪地帯である。冬、日本海上空でたっぷりと湿気をはらんだ季節風が太平洋の低気圧に向けて吹き込む時、日本海側のほとんどの地域は大荒れの空になる。なかでも頚城(くびき)平野は、能登と佐渡の間の海を吹き抜けてくる季節風の通り道となり、そんな日は、信越国境の山々に遮られた雲が大量の雪を落としていくのだ。頚城平野はいま、ほぼ全域が合併して上越市となったが、高田は位置も歴史も、その . . . 本文を読む
直江津と高田が合併して「上越市」となって、もう30年を経たという。しかし合併以前に故郷・新潟を離れた者にとっては、いまも旧市名の方に馴染みがある。その直江津は、私の母親が私を産む前に小学校の教壇に立っていた地である。禅に「父母未生以前の自己」という公案があるそうだが、私にとって直江津は、さしずめ「自己未生以前の故地」とでも呼ぶべき街である。そうした思いを相方に、出かけてみることにした。
越後国 . . . 本文を読む
伊豆は大島波浮港・・・と聞くと、たまらなく旅情がかきたてられる、といった世代の私ではない。だがかつて、世の文人墨客にとってここが憧憬の地だった時代が確かにあった。「大島に蚊と牛糞なかりせば不寒不熱の極楽の里」(井上円了)だからである。そして蚊と牛糞は消えたけれど、同時に湾内にひしめいていた漁船も姿を消し、踊り子たちは何処かに旅立った。文人たちの足も遠のき、その浮気性を実証しているのである。
梅 . . . 本文を読む