勝沼について、正確な街の位置も、今では甲州市と名前が変わっていることも知らない、いかにも山梨県に不案内な私であるけれど、「勝沼といえばブドウとワイン」ということはしっかり刷り込まれている。国内におけるブドウ栽培とワイン醸造のそれぞれの発祥の地だそうで、ブドウは1300年、ワインは130年の歴史があるのだという。だから駅名に「ぶどう郷」を加えなくてもわかるのに、などと思いつつ、「勝沼ぶどう郷駅」で下車する。 . . . 本文を読む
私はこの日、笛吹市東端の丘に立ち、遥か西方を塞ぐ南アルプスの銀嶺と向き合っている。陽光に温もる甲府盆地は、ところどころ桃色の布団に埋もれて眠っているような静けさである。「この日」を選んだのは「花々が晴天のもとに咲き揃う日」を慎重に選んだ結果であって、4月10日が市が定める「桃源郷の日」なのだとは知らなかった。元日から100日目の「百=もも」に当たるから、桃の作付け日本一の街として10年前に制定したのだとか。 . . . 本文を読む
清流が流れ来る彼方を望むと、峰はさほど高くも険しくも見えない。しかし幾重にも重なる山の深さを知るには人はあまりに小さく、背伸びしても到底無理だ。山梨県の東北端、丹波山(たばやま)村に来ている。297世帯527人が暮らす面積101平方キロの村は、97%が山林で、そのうち約70%は東京都の水源涵養林である。眼前の丹波川は遠く笠取山に発して奥多摩湖へと下り、多摩川になる。つまりここは都民の水源の村なのである。
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三島市は伊豆半島付け根の中ほどに位置し、古くは伊豆国の国府が置かれたように、東海道から伊豆への分岐を成す交通の要地だ。街は三島大社の門前町として形成されたのだろうが、江戸時代を通じ宿場町として賑わい、「富士の白雪ゃノーエ」「三島女郎衆はノーエ」でお馴染みの農兵節ゆかりの地でもある。その三島駅の南口に「楽寿園」という市民公園がある。いささか古風な名称だけれど、三島中央公園などというよりはよほど趣がある。 . . . 本文を読む
静岡で「清水」と言ったら、「次郎長に決まってらあ!」と石松あたりが言い張りそうだが、静岡にはもうひとつ「清水」町がある。こちらは正真正銘の「清水」が溢れ出る街なのだ。伊豆半島の付け根西側の、9平方キロもない小さな街なのだが、人口は3万人を超えている。街の中心部を北から南へ流れているのが柿田川で、富士山の湧水を水源とする流れはあくまで澄んで、川そのものが天然記念物だ。どれほど澄んでいるのか、覗き込んでみる。 . . . 本文を読む
身延駅を出た路線バスはゆるゆると富士川を渡り、小さな街に入って行く。高校があって、下校時の生徒がたむろしている。登り坂が急になると門が道を塞いだが、バスは構わず潜って進む。久遠寺の境内に入ったのかもしれない。高野山と雰囲気が似ていると感じたのは当然で、比叡山と合わせ、ここ身延山は「日本仏教三大霊山」なのだそうだ。終点で降り、水晶細工や仏具・土産物の店が並ぶ道をさらに登ると、とんでもなく大きい三門が現れた。 . . . 本文を読む
大きな富士山に見守られ、広場を駆け回るチビッコたち。実に豪奢なロケーションだが、これは富士山麓の街にだけ許される贅沢である。ところが、通りで出会う街の人たちは、こんなに晴れ上がった冠雪輝く富士を、誰も見上げようとしない。大喜びでカメラを向けているのは私くらいのものだ。皆さんすでに朝の挨拶を済ませた後なのか、そこにあるのが当たり前の富士に、いちいち驚いていられないのだろう。もったいないほどの富士宮である。
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静岡県は遠江、駿河、伊豆の3つの国が合体した大きな県だ。真ん中の駿河国の東に「岳南」と呼ぶエリアがあることを、静岡に転勤した30年前に初めて知った。富士山の南麓に広がる、東の愛鷹連山と西の富士川に挟まれた地域のことで、南は駿河湾の最奥部にあたる。広大な富士の裾野に古くから営まれた多くの村々が合併を繰り返し、明治になって「富士郡」に編入された。その後も合併は続き、現在は富士市と富士宮市に収斂している。 . . . 本文を読む
中央線が山梨県に入って二つ目の駅に四方津(しおつ)がある。北の崖地と南の桂川の間の狭い土地を鉄路が通過しているのだから、駅周辺に街を形成する余地はなく殺風景だ。風変わりなのは、駅から北の崖の上まで円筒状のガラスのドームが延びていることだ。崖上にニュータウンが広がっているらしいのだ。住宅メーカーが「手ごろな価格で戸建てが手に入る」と開発し、売り出した新造の街だ。1991年のことだから、バブル経済爛熟時である。 . . . 本文を読む
不要不急の外出は控えるように、との呼びかけが飛び交っているというのに、富士の北麓を目指してやってきた私に、呼びかけを覆すほどの急用があるわけではない。増田誠という、初めて名を聞く画家の生誕100年展が、都留市のミュージアムで開催されているとローカルニュースで知ったからだ。テレビにちらりと映ったその作品は、私好みのタッチである。「あぁ、観たい」と思った瞬間、出かけようと決めていた。どうみても不要不急である。 . . . 本文を読む
観光写真的にアングルを決めれば、こんな1枚になるのだろう、「忍野(おしの)八海」である。私はその名前に惹かれていたのだろうか、どこか幽玄な、神秘的でさえある佇まいを想像して、機会があったら行ってみようと考えてきた。しかし残念なことに、実につまらない観光地だったのである。美しく透き通った池もあるけれど、阿蘇山麓の白水に比べたらそのスケールはお粗末で、「八海」と言うよりは「八つの水溜り」のようなものである。
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一片の雲もない。眼前には美しく冠雪した富士がどっかりと胡座をかき、脚元には澄んだ湖水が静かに打ち寄せている。完璧と言っていい風光に包まれていい気分だった私は、次第に鬱陶しくなっていることに気づく。完璧すぎるのである。天気が良過ぎるのだろう、だから造形も色彩も単純で、湖畔散歩を続けていると、あまりに泰然とした富士山の姿に己が小さく思えてきて「おい、富士よ、なんか芸でもしてみろよ」と悪態をつきたくなる。 . . . 本文を読む
飯田線に乗ってみたいと思っていた。愛知県豊橋市から静岡県の山中をかすめ、長野県飯田市を経て辰野町までを結ぶ、総延長195.7キロの長いローカル線だ。そのルートが、中央構造線にほぼ沿っていることが関心の元だった。日本列島の西半分を縦断している大断層の、最も山深いあたりはどんな風景が続くのだろうかと、興味を持ってもう久しい。水窪(みさくぼ)はそのルートの中ほどの、長野県境に接する遠州最北の街である。 . . . 本文を読む
この荒々しい石垣は、浜松城の天守台である。無闇と積み上げただけのように見えるものの、「野面積み」という理に適った工法なのだそうだ。400年の風雪に耐えてなお緩みはなく、加工痕のない自然石を積み上げた姿は粗っぽいけれどむしろ美しい。私は訪ねた街に城跡があれば、なるべく見に行くようにしているけれど、城マニアというほどの熱心さはない。ただ20年前に見たこの石垣は、もう一度ゆっくり眺めたいと思っていた。 . . . 本文を読む
日差しがあるとはいえ、風は冷たい。山あいの小さな街の駅前。女性たちが黙々と花壇の手入れを続けている。最も彩の乏しい季節だからこそ、わずかな花も愛おしいと、枯葉をそっと取り除く。山里と街をつなぐ天竜浜名湖線・天竜二俣駅の駅前広場だ。「ようこそ天竜市へ 天竜花の会」の看板が立つが「天竜市」はもうない。合併して浜松市になったのだ。しかし女性たちにそんなことはどうでもいい。わが街を美しくとの想いが勝る。
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