府中と聞くと、私は大国魂神社のケヤキ並木が思い浮かぶ。しかし世の中には、競馬や競艇と結びつけて血湧き肉踊らす人の方が多いだろう。なかには刑務所の記憶に繋がるという場合もあって、そんなお方には余り思い出したくない街かもしれない。この街は神様と天国と、そして地獄が同居している。そのうえご丁寧なことに、広大な霊園まで備わっているのである。
街は、自転車で走ってみるとその豊かさ(あるいは逼迫度)が分か . . . 本文を読む
JR中央線の三鷹駅の西隣に、武蔵境駅がある。高架工事が大詰めを迎えている駅舎に立って、考えた。この「境」は何と何の境なのか、と。「武蔵国」と「相模国」の国境か? いや、この地の南西には武蔵国の国府が置かれた府中があるし、西には国分寺があった。北と東は当然、武蔵の地だ。武蔵境はむしろ武蔵中央といっていいような位置にある。
そもそもムサシとは何か。その昔、大和朝廷の支配が及ぶ以前の関東平野は、「ム . . . 本文を読む
深く知るほど滞在したわけではないのに、時間の経過とともに次第にミステリアスなイメージが増幅していく街がある。私の体内には今のところ、その筆頭として「和歌山県新宮市」が居座っている。ほかには、静岡県の富士宮市などいくつかの街が浮かんで来るが、その数は多くない。
こうした街に共通しているのは、「メインルートから外れていながら、強いオーラを放っている街」だと感じることである。単なる私の錯覚なのかもし . . . 本文を読む
韓国旅行から帰って、ずっと考えていることがある。それは旅行最終日の半日余を費やして回った、ソウルの「国立中央博物館」のことである。1年前に新築移転したという巨大なミュージアムを見学しながら、しだいに強まっていった思いは「なぜこんなに展示物が手薄なのか」ということだった。
25年前、私がソウルを初めて訪れた時は、国立中央博物館はソウル市内北部の景福宮内にあった。それが2005年10月、米軍基地の . . . 本文を読む
庄内平野は北を鳥海山(2236m)に、東から南は月山(1984m)をはじめとした出羽三山に囲まれている。そして西は日本海に縁取られ、好もしい広さである。太古、定住の地を求めて野越え山越え、南方よりやって来た集団は、稜線を越えて眺めた光景に「*☆#дЭ!」と歓声を上げたことだろう。現代語訳すれば「ついに見つけた!」という意味である。
明治初期に日本にやってきた英国婦人、イザベラ・バードが「まるで . . . 本文を読む
「鶴の舞う岡」なのだろうか、山形県鶴岡市は、地名そのものの響きがいい。広大な庄内平野に入り、遠く鳥海山を望む原を行くと、確かに鶴舞う姿が似合いそうな晴れ晴れとした風景が広がった。「鶴ヶ岡城跡」という公園に着いたのは、日曜日の昼下がりだった。市役所に駐車し、歩いてみる。休日のお役所街は閑散としているものだが、それにしても人の気配が無い。
内川という川を渡ると間もなく、「銀座通り」というアーケード . . . 本文を読む
新潟県の北のはずれに村上という街がある。人口はようやく3万人を維持している程度のごく小さな地方都市ではあるが、私には「時折り訪ねてみたくなる街」なのだ。土地の歴史に詳しいわけではないけれど、私の生まれ故郷の西蒲原付近にも「村上藩」の領地があったようだから、それなりに濃密な人の営みが続いてきたのだろう。
さしも広大な越後平野も、ここまで北進すると平坦部は乏しくなり、高志=越と出羽庄内を隔てる山塊 . . . 本文を読む
世界中の都市には共通点がある。「西へ広がる」のである。理由はいまだ解明されていないらしいが、日本でもそれはほとんどの街に当てはまる。首都・東京も例外ではない。台地が海に突き出した先端に城が築かれて始まったこの街は、西へ西へと延びた。明治になって、その真ん中をまっすぐ西へ鉄路が敷かれ、街はますます西へと広がった。
私はJR中央線のことを言っている。荻窪と吉祥寺の駅間に「西荻窪」がある。それは駅名 . . . 本文を読む