今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

307 神代(東京都)・・・園内の女性はみんな花の精

2010-10-28 12:29:02 | 東京(都下)

植物園と動物園は何が違うか。一方ではバラが咲き、他方にはサルが居る、などと訊ねているのではない。入園者の子供の数が違うのである。動物園は子供が主役で、父親や母親はわが子に振り回されている。ところが植物園では子供の数はめっきり少なく、たまに見かける子供たちもおおむね退屈そうなのである。そして植物園の大人たちは、圧倒的に(やや円熟期以降の)女性が多いのだ。これはなぜか? 調布の神代植物公園で考えた。

「美しい!」という感覚は、何歳くらいから芽生えるものなのだろう。学問的には「幼児も感じている」といった研究があるかもしれないが、体験的・観察的感覚では、概ね人は思春期と呼ばれる年頃になって、初めて「美」に目覚めるのではないだろうか。それまでの「花は奇麗だ」という意識は、無意識の中にそうした感覚が生まれているとしても、表面に現れて来るのはそう教えられたことによる学習的表現に過ぎないのではないか。

といった考察を前提に、植物園の客たちを観察してみる。いま園内はバラ、ダリア、コスモスが花盛りである。「なんて奇麗なんでしょう」「ああ、いい香り」と女性たちは見惚れている。その傍らで男性たちは無言のままこんなことを考えているらしい。「このバラは何という品種なんだろう」「どんな交配でこの形を産み出したのか」。花壇の通路を、男と女の全く異なった思いが交錯している。

花は神々が産み出したものだとすれば、神にも天才的造形作家がいる証拠だといえよう。だが人間界の自然科学者たちは、花の色彩と多様な造形が生まれた理由を「虫や鳥を呼び寄せ、受粉を手伝わせるためだ」と説明したがる。イヌやネコが奇麗な花に見とれているなど見たことも無いから、花に惹き付けられるのは虫と鳥と人間だけということになる。だとすると人間は、虫や鳥と同じ感覚をDNAにしまい込んでいるということか。

かくて植物園は、本日も盛況なのだが、出口で観察していてまた興味深い男女差が確認できた。女性たちのほとんどが「奇麗だったわねえ」「素晴らしかった」と頬を上気させ、若やいで見えるのに対し、男たちは概ね無表情のまま「ようやく帰れるか」といった雰囲気を漂わせている。このことから何が分かるか?

男だってもちろん、花の美しさに心を奪われることはある。観ればみるほど色美しく、変化に富んだ造形だと思う。だが女性(主にやや円熟期以降の女性)が植物園を好むのは、美しい花に接することで、自分も美しくなれる(と錯覚できる)からなのだ。だからかくも上気し、頬をピンクに膨らませている。男にはそれがない。理屈先行で感受性が摩滅しているせいだろう。もっとも男までが頬を染めて上気していては、気味が悪いだけだ。

そして子供である。子供は花の美しさに感動などしない。それは自分自身がもっと美しいからである。どんなに咲き誇っている花でも、子供のあどけなさ、はち切れんばかりの可愛らしさの前では、色を失っている。だから子供にとって、わざわざ花を観に出かける理由がないのだ。強いて挙げれば植物「公」園の芝生広場で駆け回ることや、ソフトクリームが狙いなのである。

隣接する深大寺は、参詣客でにぎわっていた。花よりおソバというわけか、門前の蕎麦屋街も満席のようである。すべて世はことも無し。咲き乱れる花は、いっとき、そんな錯覚をもたらしてくれる。(2010.10.23)
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1 コメント

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私は、23日に神代植物公園に行きました。 (給料計算の手帳)
2010-10-29 11:12:51
たくさんの方がカメラを持っていらしていたのでどんなお写真を撮られていたのか、楽しみに伺いました。
記事を読んで、男女差は確かにあると思いました。
子供がなんでバラに興味を示さないのか、興味深い話と思いました。
コメントさせていただきありがとうございました。
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