富山の街をゆっくり歩くのは17年ぶりになる。北陸新幹線はまだ開業していなかった。バスの運転手さんが「こんなに暮らし良い街はないよ」と話しかけてきたけれど、そんな会話が聞き取れないほど、繁華街の路面電車が騒音をまき散らして行き来していた。その繁華街では、集客を諦めたような老朽ビルで百貨店が営業を続けていて、一緒に旅していた東京の女子大生が「さっきから考えているんです、この寂しさは何だろうって」と言った。
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富山湾は「世界で最も美しい湾クラブ」のメンバーなのだそうだ。水深の深さと魚種の豊富さ、それに蜃気楼が発生することが選定の決め手だったらしい。湾は神通川が流れ込む富山市を中心に東と西に分けられそうで、東側へは滑川、魚津、黒部と似たような規模の街が続く。今回は「米騒動発祥の地」に興味があって魚津へ行ってみる。駅には「蜃気楼の幻影」「ホタルイカの神秘」「埋没林の浪漫」と、「魚津の三大奇観」のポスターが掲げられている。 . . . 本文を読む
街の小さな公園で、ワンパクたちが駆け回っている。そこに下校途中の女の子が通りかかった。目ざとく見つけたワンパクの一人が駆け寄って来て、手にしたおもちゃの鉄砲で女の子を狙い始める。私はとっさに「こらっ、女の子をいじめちゃいかん」と声を発している。「証拠写真を撮ったからな」と怖い顔をしてみせると、わんぱく坊主もなかなかのもので、「いいもーん」と言ってマスクの上からアカンベエだ。まだこんな元気な坊主が残っている。 . . . 本文を読む
金沢に行くと、この人の作品を観ることになる。九谷焼作家・武腰潤である。焼き物好きの私だから、どこの街でも陶芸展を観たり工芸品店を巡る機会が多くなるのはいつものことで、意識してこの作家を探し歩いているわけではない。ただ観た作品のほとんどは忘れてしまうのに、武腰氏の「鴇」を描いたシリーズだけは、いつまでも記憶に残るのである。だから「金沢に行くと、この人の作品を観ることになる」と気付くわけで、今回もそうなった。 . . . 本文を読む
校外学習の中学生だろうか、一乗谷の朝倉館跡の広場で、遺跡の歴史を学んでいる。中世の城塞都市の遺構がそっくり残る国の特別史跡を、授業の一環として見学にやって来られる子供たちは恵まれているけれど、聞かされている生徒たちはさほど嬉しそうでもない。私は彼らに60年前の自分を重ね、「緑と言っても、実にいろんな色を含んでいるんだよ」と教えてくれた先生は誰だったろうと考えている。それほどに谷は萌え、輝いているのだ。 . . . 本文を読む
福井は「恐竜王国」を名乗るだけあって、いろんなところで恐竜に出くわす。福井駅前で全長10メートルの巨体を曝している「フクイティタン」は映像によく映し出されるけれど、それだけではない。駅のベンチで辞書を片手に骨格標本を見つめている仲間や、人影の薄い観光地のバス停でじっと佇んでいる名も知らぬ姿を見かけ、ドキッとさせられたりする。街の人は見慣れているのだろう、ほとんど無視して通り過ぎて行くのも恐竜王国らしい。 . . . 本文を読む
JR北陸線は、金沢から米原方面が「下り」になるのだそうだが、その下り列車が鯖江に近づくと、左側の車窓に丘陵の緑を背景にした「SABAE」の大看板が現れる。そして文字と並んで、白地に赤のメガネのマークが浮かぶ。それだけでメガネの街に到着したことを知る。鯖江にはメガネマークが氾濫している。現代生活では必需品とも言えるメガネの95%が、この街と福井市にかけてのエリアで製造されているというのだから、当然のことだろう。 . . . 本文を読む
武生駅から「越前海岸かれい崎行き」のバスに乗る。魚のカレイがよく獲れる岬があるのだろうと思ったら、どうやら「干飯」と書いて「かれい」と読むらしい。敦賀海上保安部の管内主要灯台紹介に「干飯埼灯台」とあって、「かれいさき」とルビがふってある。在所は福井県丹生郡越前町米ノ(こめの)と、これまた珍しい地名だ。越前蟹の本場らしいが、私が目指しているのは蟹ではない。途中の山中に広がっているはずの「越前陶芸村」に行くのだ。 . . . 本文を読む
北陸本線を武生(たけふ)駅で降りる。初めての街だ。「私の日本地図」ではここは武生市なのだが、2005年、隣町と合併して越前市と名を変えている。隣接する越前町や南越前町と紛らわしいからと反対も多かったようだが、市長は「いずれみんな合併して越前市になればいい」と市名変更を強行したらしい。この発言のトーンからは高圧的な市長さんといったイメージが浮かぶけれど、「大越前市」を見据えてのことだとしたら中々興味深い。 . . . 本文を読む
小浜湾と呼ぶのだろうか、若狭湾のほぼ中央部、小浜市の海岸通りの海は、東と西から伸びる半島が長い腕のように抱き込み、湖と見紛うばかりの穏やかな入り江を広げている。湾の中の湾だ。今そこに、この日の太陽が沈もうとしている。東側の半島は、蘇洞門(そとも)と呼ばれる断崖が続く景勝地だ。蘇洞門は外面のことだそうで、昔の人にとってこの入り江より先は、異国に繋がる外洋だったのだろう。西の半島には4機の原子炉が並んでいる。 . . . 本文を読む
「小丹生」なら、私でも「おにう」と読むことはできる。しかし「遠敷」となると、これを「おにゅう」と読み下すことは至難である。だが実際に「遠敷」という地域が福井県小浜市にある。若狭湾の海辺から東へ、4キロほど内陸に入ったあたりで、遠敷川が流れている。流れのやって来る南方はなだらかな丘陵に守られ、狭い谷が延びている。水が少ない割に堤は立派で、野の花がひょろひょろと伸びている。田植えを終えたばかりの稲田に白鷺が1羽。
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薄い雲を透して水色の空が広がる、春とも夏とも定かでない曖昧な日の昼下がり、私は敦賀港に来ている。青々と芝が敷かれた金ヶ崎緑地から眺める海は、若狭湾の東端に深く入り込んで、海上保安庁の巡視艇が静かに錨を下ろしている。かつてはシベリア鉄道で欧州を目指す旅行客が、ウラジオストク航路に乗り込んで日本を離れた岸壁である。そして飢餓に苦しむポーランド孤児や、「命のビザ」を握りしめたユダヤ難民を迎えた港でもある。 . . . 本文を読む
市中に多くの彫刻を配置する街は、全国に随分あるのだろう。私はそうした街を歩くことが好きで、埼玉県だけでも行田と高坂は行ったことがある。作品から作品へ渡り歩きながら、街のニオイを感じることの楽しさから、パブリックアートが充実している街だと耳にすれば、なんとか行ってみようと計画を練る。今日のそれは春日部市で、土地ゆかりの彫刻家が「春日部駅周辺ほど多くの彫刻が凝縮する街を見たことがない」と言うほどらしい。
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「久喜」と聞くと、脱サラをして植木職人になった知人を思い出す。仕事上の付き合いながら、同年輩ということで親しくしていた。その彼が突然「辞めることにした」と言ってきたのだ。40歳を過ぎて植木屋になるという。あまりの畑違いに驚いて「食えるのか」と問い詰めた。「何とかなるさ」と明るく去っていった彼は、久喜から東京・兜町に通勤していた。「久喜の植木屋さん」と想像してみようとするのだが難しい。第一、久喜って何処だ?
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太田の記憶は微かである。50年前に一度訪れたきりなのだからそれは致し方ないことだが、それにしてもこの街は、この半世紀で大きく変貌したのではないだろうか。私の記憶の中の太田は、日光例幣使街道に沿った鄙びた商店街と、やたらと「呑龍さま」を自慢する市民気質くらいのものなのだが、今回、東武伊勢崎線の太田駅に降りて、高架になったモダンな駅舎にまずびっくりし、南口に広がる現代的なオフィス街にさらに驚かされたのである。 . . . 本文を読む