今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

1115 纒向(奈良県)王権はここに始まりどこへ行った

2023-08-06 15:33:29 | 奈良・和歌山
山辺の道を南に辿る時、巨大な前方後円墳群を経て穴師山と三輪山を分かつ巻向川の細い流れを渡るころには、深閑とした森の傍を檜原神社に近づく道が延びて、晴れ晴れとした眺めに疲れを癒されるのが常である。だから私も「纒向(まきむく)」という土地の名は馴染みが深く、檜原社から箸墓へ坂を下ったこともある。ただ日本史において、これほどただならぬ土地であるとは思い至らなかった。「纒向遺跡」の発掘調査が明らかにしつつある。 . . . 本文を読む
コメント

1114 橿原(奈良県)香具山は畝傍雄々しと耳梨と

2023-08-01 09:02:48 | 奈良・和歌山
橿原市は大和盆地の南部にあって、人口12万人の奈良県第2の街だ。京都―奈良―和歌山を結ぶ近畿圏の大動脈・国道24号線が南北に通じ、JR桜井線とともに近鉄の大阪線と橿原線が直交するという、鉄道網も発達した現代交通の要の街である。「交通の要」というこの街の特色は、古代から続く立地で、現代の国道や鉄道は、7世紀ころの大和盆地に整備された「下つ道」や、日本書紀の言う「自難波至京置大道」にぴたりと重なるのである。 . . . 本文を読む
コメント

1113 五條(奈良県)江戸の町を自転車が行く五條かな

2023-07-30 09:44:29 | 奈良・和歌山
紀伊半島は広大で、列島の「半島」では突出している。標高1500メートル前後の峰々が連なる紀伊山地が中央に居座る大山塊で、古来、山びとが行き交う杣道を除けば、熊野詣の「辺路」や吉野修験の「奥駈道」が尾根を縫う程度の道路事情の地だった。縦走する自動車道が通じたのは昭和30年代になってからで、新宮から北上して五條に至る国道168号線である。私はその道を二日を掛けてバスに乗り継ぎ、ついに吉野川を渡る。五條だ。 . . . 本文を読む
コメント

1112 賀名生(奈良県)歌書よりも軍書に哀し丹生の里

2023-07-29 08:32:16 | 奈良・和歌山
関西人なら、梅林で有名なこの地名を難なく「あのう」と読むかもしれないけれど、アヅマエビスの私には実に難しい。奥吉野へ分け入る「喉口」とでも言うあたりの、五條市西吉野町賀名生である。私は天辻峠を南から越えてやって来たので、いささか空は広くなったけれど、依然として山に囲まれた小さな里である。しかしもし650年ほど遡ったとすれば、ほんの一時とはいえ、ここがわが国の「帝都」であったと言えなくもない土地なのである。 . . . 本文を読む
コメント

1111 十津川(奈良県)空青く緑に埋もれ遠つ河

2023-07-27 08:48:00 | 奈良・和歌山
「遠つ河」なのだろう。「つ」は津か都か、何れにしても湊にも街にも遠い「十津川」である。紀伊山中を縦走するバスは本宮から北上を続け、ずっと並走していた熊野川がいつの間にか目もくらむ谷底となっている。紀伊・大和の国境、果無山脈を越えているのだ。かつては里の物資を求めて村人が歩き、高野山から熊野霊場を目指す参詣者が1000メートルを超す峠をいくつも越えた小辺路である。私はバスを独占して隧道を通過、大和に入る。 . . . 本文を読む
コメント

1110 本宮(和歌山県)空澄んで山果てし無く神集う

2023-07-26 11:23:06 | 奈良・和歌山
私は和歌山県田辺市本宮町本宮の熊野川右岸堤防上にいる。正面には熊野本宮大社が鎮座する丘が望まれ、左の森は旧社地の大斎原(おおゆのはら)である。中央に聳える大鳥居は高さが34メートルもあるそうだが、25年前に訪れた時はまだなく、翌年の建造だ。当時ここは本宮町といったが、現在は合併して田辺市に含まれる。そして遥かに望む北方の峰々は、熊野川が発する吉野の大山塊だ。十津川村から奥吉野へ続く、山また山の世界である。 . . . 本文を読む
コメント

1109 新宮②(和歌山県)神武軍もこの街を越え征ったのか

2023-07-25 10:53:45 | 奈良・和歌山
熊野川の河口近くに残る、新宮城(丹鶴城)址に登る。陽が落ちようとしている彼方は、熊野の神々が降臨した権現山が、果無山地へと続いて行く峰々の世界である。振り向けば家並みの向こうに熊野灘が蒼海を広げ、こちらも果て無しの太平洋が陸を縁取っている。そうした大地を裂いて、流れ込んで来るのが熊野川である。今日の川面は翡翠色に鎮まっているものの、一度氾濫すれば何もかも呑み込んでしまう、山塊と大洋と大河の新宮である。 . . . 本文を読む
コメント

1108 新宮①(和歌山県)迷宮は胎内に通じて熊野詣

2023-07-24 14:50:01 | 奈良・和歌山
熊野路を廻ったのは25年も昔のことになる。再訪しようと何度か計画を練ったものの、果たせず四半世紀を経てしまった。以来、熊野を考えると決まって思い浮かぶ光景がある。それは新宮の、ごくありふれた街角に過ぎないのだが、「もう一度あの場所で街を見つめたい」と、渇望にも似た想いが湧いてくる地なのである。自分でも不可解なこの「想い」は何なのか、確かめたくて再び新宮にやって来た。そして独り、夕暮れの街角に立っている。 . . . 本文を読む
コメント

1069 奈良(奈良県)ご苦労ながら守って欲しい古都の風土

2022-11-20 13:13:08 | 奈良・和歌山
どの街にも、一目でそことわかる景観の地がある。奈良の場合、猿沢池を越えて興福寺の五重塔を望む地点は、その代表格と言えるだろう。「五十二段」と名付けられた石段を興福寺側から降りながら、記憶の風景を思い描いて池畔に立つ。ところがどうしたことか、雰囲気がおかしい。歩道を彩る柳並木はほとんど失せ、石段のある傾斜地の樹木もすっかり伐採されて殺伐としている。「奈良よ、いったいどうしたのだ」と、私は呆然と立ち尽くした。 . . . 本文を読む
コメント

1068 春日大社(奈良県)丸いホホ朱色に染めて宮参り

2022-11-16 14:28:24 | 奈良・和歌山
七五三だろうか、着飾ったお姫様が母と祖母に手を引かれ、神様の祝福を受けに来たところらしい。春日大社の朝である。旅先で大きな社を訪ねると、しばしば出会うお宮参りの光景だ。生後間もなく始まって、二年参りだ初詣だと、老いてなお宮に参る日本人の風習は、信仰から来る行動か、あるいは記憶の彼方のご先祖以来の、暮らしの習俗を踏襲しているだけなのか。無宗教が多いと驚かれる日本人だが、実はとんでもなく信心深いのかもしれない。 . . . 本文を読む
コメント

1064 あおによし奈良の都は蘇る

2022-11-06 22:01:41 | 奈良・和歌山
若草山を下山し、転害門から法蓮町を抜けてかつての一条大路を西に向かう。30年ぶりの佐保界隈は、相変わらず雑然として渋滞気味である。歩き慣れた道のはずだが、平城宮跡に着いて大いに戸惑った。記憶の中の宮跡は、ひたすら茫漠とした原に大極殿の基壇がわずかに整備されている程度の、広大な空き地だった。それが今や巨大な大極殿が復元され、近くには役所を再現したという建物や築地塀が延びている。いったい何が進んでいる . . . 本文を読む
コメント

1063 若草山(奈良県)若草のこれが別れの国見かな

2022-11-03 15:13:35 | 奈良・和歌山
 平城京の神南備・若草山の山頂である。標高283メートル、三笠山とも言う。大和平野をあまねく見晴らすことができ、南方の吉野の峰々の手前に微かに見えている小さな三角錐の丘は耳成山だろう。つまりその向こうが「飛鳥」ということになる。飛鳥でよちよちと国造りを始めた大和朝廷は、そこを出て盆地北端に平城京を建設した。その歴史的国見をしながら、結婚の記念写真を撮りに来たらしいカップルはどんな人生を思 . . . 本文を読む
コメント

1062 大和郡山(奈良県)幾つもの記憶交錯金魚の街

2022-10-29 10:17:20 | 奈良・和歌山
大和郡山市は奈良盆地のほぼ中央に市域を広げる、人口84000人ほどの街だ。131万人の県民が暮らす奈良県では奈良市、橿原市、生駒市に継ぐ4番目の人口規模になる。市域の北東端に羅城門跡が残るように、平城京の外縁である九条大路が現市街地を貫いていて、8世紀ころには京域を窺う魑魅魍魎が跋扈していた土地かもしれない。だが16世紀には大和全域から紀伊・和泉まで治める拠点になった街でもある。豪壮な城跡が残って . . . 本文を読む
コメント

1061 法隆寺(奈良県)幾たびの斑鳩の空法隆寺

2022-10-26 17:21:57 | 奈良・和歌山
再びの法隆寺である。もう何度目の訪問になるだろうか。1400年の寺の歴史を思えば、そこに重なる私の人生など一瞬に過ぎない。だが一瞬の側に立ってみれば、その1度1度が懐かしく愛おしいのだ。繰り返し書いてきたように、私が奈良・大和路に強い憧憬を抱くようになったきっかけは、この大寺と、そして寺を包む斑鳩の里にある。そのことを思い浮かべつつ西院伽藍に踏み入る。すると思わず「これが最後かな」と言葉が口をつい . . . 本文を読む
コメント

1060 唐古(奈良県)楼を建てムラを造った弥生人

2022-10-24 11:19:27 | 奈良・和歌山
大和盆地のほぼ中央部に、田原本(たわらもと)という人口3万1000人ほどの町があって、その真ん中を貫く京都―奈良―和歌山を結ぶ国道24号線沿いに、「唐古」「鍵」の集落がある。盆地中央部だからひたすら平坦で、南には吉野の山々、南東隅に三輪山の稜線を望み、大和川、寺川、飛鳥川が北上して行く。弥生時代の大規模な集落跡が発掘された「唐古・鍵遺跡」は、そんな長閑な大きな空の下に広がっている。ランドマークは復元された楼閣だ。 . . . 本文を読む
コメント