《墓》とは何であろう? 無宗教な日常を過ごし、核家族化する世の中で生きて来た人生にあって、墓は無縁とまでは言わないまでも、意識の外縁にぼんやり放置してきた。私に「その時」が来たら、散骨でも何でもやってくれ、と吞気に構えていた。ところが突然、身内に不幸が生じ、眼前に《遺骨》が出現したのである。そして家を継いだわけではないわが一家に、入る墓はないのだと、この期に及んで家制度という亡霊が本性を現した。 . . . 本文を読む
息子たちと渋谷で待ち合わせることになった。「ハチ公がいいかモアイがいいか」と聞くから、モアイということにしてハチ公を目指した。しかしその隣りだと記憶していたモアイ像が見当たらない。恥ずかしながら交番で尋ねると、見当違いをしていた。私が駅から5分ほどの渋谷の住人だったのは40年前のことで、そのころモアイはまだいなかったのだから仕方ない。街はあのころより奇麗で明るくなった。そして相変わらずの雑踏だ。 . . . 本文を読む
見上げれば、おおきな臀部である。都民広場を睥睨する摩天楼に対峙して、逞しい尻はどっしりと小気味よい。ブロンズは小糠雨に濡れて黒光りを放ち、近代建築の硬直した線をあざ笑う。私はもはや裸像に向き合って動揺する年齢ではないから、このシーンにあっても冷静に「生命」を感じていた。そして「肉体は傷つきやすい。されど人間は強い。だから命の連環は途絶えはしない」と考察した。東日本大震災から2ヶ月を経た日のことだ。 . . . 本文を読む
会津若松のことを書こうとして、筆が進まない。東北の雄藩であって白虎隊の悲劇の地、優れた伝統工芸とそれにふさわしい街並みといった、語ることはいくらでもあるはずの街にも関わらず、である。この街には、他国者が簡単に分かったような気分になることを拒むところがあるのではないか。そんな気がする私は、だから安易に感情移入してはいけないと身構えているらしい。なるほど、その印象こそが会津若松なのだろうか。 . . . 本文を読む
この街ほど道が分かり難い街はない、と断定できるほどあらゆる街を知っているわけではないけれど、杉並区でも阿佐ヶ谷あたりが番地判定困難地であることは間違いない。密集する住宅の中を道は気ままにカーブし、唐突に分岐する。およそ統一性がないうえに狭い。家々をすべて取り除いてみると理由が明らかになるだろう。畑地を縫って農道が踏み分けられた地域に、区画整理する余裕もないまま住宅が押し寄せて来た結果であると。 . . . 本文を読む