今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

155 サロマ(北海道)・・・ワッカとは甘く湿った芳しさ

2008-07-27 23:34:33 | 北海道
サロマ湖を、オホーツク海から隔てる砂州の先端近くに私はいるらしい。小糠雨が降り続いているため遠望は利かないのだが、周囲は一面の草原である。その中を細い遊歩道が縫っていて、気がつくと足下に、赤や黄色、それにピンクの花が咲いていたりする。花弁は小さいが鮮やかである。ここは《ワッカ原生花園》という、海浜草原のサンクチュアリなのだ。それにしてもこの心地よさは、どうしたことだろう? 列島各地が30度を超 . . . 本文を読む
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154 網走(北海道)・・・幻が匂い立つかな《土の家》

2008-07-26 21:05:26 | 北海道
地図で見る限り、北海道の先端・宗谷岬から南東の知床岬に至る海岸線は、日本列島が描く最も美しいカーブではないか、というのがかねてからの私の思いである。しかし手元の地図では特に名前が見当たらない。そこで(命名する勝手を許していただき)おごそかに《オホーツク灘》と名付けたい。流氷が接岸する南限であり、幻の《オホーツク人》が生きた海浜である。実景の美しさを確認するため、網走を訪ねた。 しかし網走の街で . . . 本文を読む
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153 紋別(北海道)・・・最果ては流氷の街オホーツク

2008-07-23 15:53:23 | 北海道
Monbetsuという地名は、アイヌの人々がその地を呼び習わしていたmoupettoに由来するのだと、紋別市のパンフレットにある。《静かな川》という意味のアイヌ語で、モンベツ村は1875年(明治8年)、《紋別》の漢字標記に改められた。わずかこれだけの情報ながら、北海道東部東岸という僻遠の地までやって来た和人たちが、アイヌの森とオホーツクの海で暮らし始めた息づかいが聞こえて来るようである。 紋別 . . . 本文を読む
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152 大沢(東京都)・・・民藝とイスラム文化にキリスト教

2008-07-13 00:00:03 | 東京(都下)
東京三鷹市に「大沢」という地域がある。お隣はもう調布や府中になる三鷹の街外れで、どこにでもありそうな静かな住宅街が続いている。ところが基督教大学や神学大学といったキリスト教文化施設に囲まれて、中近東文化センターという不思議な空間がある。キリスト教とイスラムの源流。現代では対立甚だしい世界の2大文化圏が、ここでは平和に共存していて、私のお気に入りスポットなのである。 前にも書いたことだが、東京の . . . 本文を読む
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151 熊本(熊本県)・・・賑わいが「あんたがたどこさ」熊本さ

2008-07-11 23:50:15 | 熊本・鹿児島
平成の大合併のおかげで、人口を基にした地方都市の規模の推定が難しくなった。大規模合併により、都市インフラの集積以上に人口規模が膨らんだ街が増えたからだ。それまでは県都と呼ばれる中心都市の多くが45万から50万人規模であった。そうした時代、熊本市の人口は60万人を超えていた。大きな街なのだろうと想像していたのだけれど、初めて行ってみると、繁華街の賑わいは想像を超えていた。 九州の中心都市は、いま . . . 本文を読む
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150 長崎(長崎県)・・・「くんち」には采の流れに見栄を決め

2008-07-10 00:00:05 | 佐賀・長崎
伴侶殿が「長崎に行きたい」と宜給えば、何はさて置き案内せねばならない。さっそく「北西九州3泊4日の旅」を企画した。メインは長崎市内観光である。ここで2泊し、主なスポットを見て歩こうというわけだが、私も1年前に1度訪問しただけの知識しかない。「御案内する」などと殊勝な顔をしていたものの、前回行き漏らしたエリアを歩いてみたいとの下心ミエミエである。長崎は小さな街だが、奥が深いのである。 路面電車に . . . 本文を読む
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149 川端(福岡県)・・・山笠はじわりじわりと熱放ち

2008-07-08 23:25:24 | 山口・福岡
通りすがりの旅行客には、その「空気の違い」を判読することは難いのだけれど、7月3日の博多の街はしっかりと祭りモードに入っていて、年に一度の特別な時間が流れているに違いなかった。なにしろ博多駅前や天神のデパート広場はもちろん、川端商店街にもきらびやかな「飾り山」が建てられ、櫛田神社の境内は観覧席の足組で埋まっているのだから。「博多祇園山笠」は、すでに始まっているのだ。 博多川をはさんで中洲の歓楽 . . . 本文を読む
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148 島原(長崎県)・・・微笑みて「水の都」に癒される

2008-07-07 22:00:21 | 佐賀・長崎
熊本に向かうフェリーのデッキに座り、遠ざかる島原の街を見ていた。眉山に隠れていた雲仙普賢岳が、やがて刺々しい山容を見せ始め、天空の雲があの火砕流を連想させる。厳しい自然と向き合う街であるのだろうに、島原で私たちは「生き残っている日本の美風」に触れることができた。「優しさ」という人情のことである。そこは穏やかな航跡を残す有明海のように、静かで飾り気のない、旅人に優しい街であった。 長崎から熊本に . . . 本文を読む
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