東松山市を訪れたのは2年前の秋だ。吉見百穴を見物した帰り、吉見町との境を流れる市野川の堤から望まれる富士山が美しかった。今、その日のことを思い出そうとしているのは、国の文化審議会が先日、同市の中心部に鎮座する箭弓(やきゅう)稲荷神社の本殿などを国の重要文化財に指定するよう答申したからだ。神社を訪れたその日、私は「ずいぶん手の込んだ本殿だ」と感じ入ったものだ。そんな縁で、他所者ながらこの指定を喜んでいる。
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東京圏は「街」と言うには巨大すぎる。それはいくつもの大きな街の集合体であり、3000万人を超す人々が暮らす世界最大の人口集積地帯だ。そこに鉄道が、網の目のように張り巡らされている。そうした鉄路の一つ小田急線は、学生のころから頻繁に利用してきた私鉄だけれど、それは新宿から多摩川までのことで、その先についてはさっぱり土地鑑がない。だから首都圏で「住みたい街1位」に選ばれたと評判の「厚木」とはどんな街か、知らない。 . . . 本文を読む
年間を通じて、これほど日照・気温・湿度・風力などの指標が快適に揃う日は何日あるだろう。「揃う」とは、私のような街歩きを楽しむ者にとってである。前日「木枯らし1号」が吹いた関東だけれど、今日は間違いなく「勢ぞろいの好日」である。そのせいもあるだろう、初めてやって来た神奈川県西部の秦野の街がとても心地よい。四囲をなだらかな丘陵に囲まれ、西方から富士山が白く輝いて見守っている。豊かな地下水が湧き出す街だという。
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毎年6月になって鮎釣りが解禁されると、釣りキチはお気に入りの渓流へと飛び出し、友釣りに没入するのだけれど、釣りキチでない私は家に居て、「今年こそ鮎を食べるぞー」と雄叫びを挙げる。そんなことを繰り返して10年余になろうかという今年、とうとう我慢できずに家を飛び出し、寄居の料理旅館にやって来た。世の中、美味しいものはたくさんあるのに、この季節になると、無性に鮎の塩焼きを頬張りたくなるのである。さあ、食べよう!
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この景色を前にしたら、腕を思いっきり広げて深呼吸したくなる気分は、後方で写真を撮っている私にもよく解る。あいにくの梅雨空でも実に清々しい風景なのだ。秩父盆地の水が荒川を中心に全て集まって、関東平野に出て行こうとする長瀞である。「瀞」とは「水が深くて淀み、流れの緩やかな川の状態」を言う。岩に囲まれた瀞が続く長瀞は、「地球の窓」とも呼ばれる日本地質学発祥の地で、名勝が乏しい埼玉では、とっておきの観光地なのである . . . 本文を読む
熊谷のイメージが「日本一暑い街」と定着して久しい。今年も天気予報でその名を耳にするようになり、頭上から冷えたミストが降り注ぐ駅前広場の映像が紹介される季節になった。この霧を浴びるとどれほど涼しいのか、体験したくてやって来た。だが今日は生憎というか幸いなのか、「気温28度以上・湿度75パーセント未満・風速3メートル未満・降雨なし」というミスト運転条件が満たされていないのだろう、装置は休養日のようである。 . . . 本文を読む
北の野毛山と南の山手丘陵に挟まれた限られた地域に、開港場と外国人居留地が開設されて始まった横浜の街は、160年ほどで人口が377万人を突破、世帯数は180万に達しようとしている。日本で最も人口の多い「市」であり、都道府県に当てはめると静岡県を上回る10番目の「県」のようなものだ。面積は全自治体中249番目らしいが、神奈川県では一番広い。18の行政区に分かれ、関内や本牧を含む中区は発祥以来の横浜の中枢である。 . . . 本文を読む
「今年のお花見は鎌倉で」ということになって、大船駅に近い大船フラワーセンターに集合した。例年になく早い開花で世の中がそわそわしている今春、鎌倉界隈はすでに花吹雪が始まっているようだ。久しぶりの好天に、枝振りの良い樹の下では多くの家族連れがシートと笑顔を広げ、チビッコの駆け回る歓声が響いている。園内は飲酒禁止のようで、花見につきものの喧騒はなく、そろそろお酒を卒業したい私にも相応しい、穏やかな花見である。 . . . 本文を読む
真鶴半島は相模湾の西に突き出す小さな半島だ。付け根の真鶴漁港から先端の岩礁まで、精いっぱい距離を測っても3キロに達しない。岬の高台に公園があって、名勝・三ツ石や初島を望むことができる。私は7年前にも隣接する中川一政美術館に来て、帰りのバスを待つ間、ここを歩いた。満開の河津桜や椿が美しく、妻を案内したらどんなに喜ぶだろうと思った。今回、柿田川湧水見物に出向く帰り、妻と真鶴岬の宿に一泊するプランを立てた。
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立春を過ぎたとはいえ、寒の底はまだ抜けてはいないのだろう、ここは横浜市中区の横浜公園。池の上に枝を広げる紅梅は、季節の移ろいを先取りして頑張っているけれど、散歩する親子連れはしっかりコートを着込んで、未だ真冬の出で立ちだ。背景の大きな建物は横浜スタジアムで、オリンピックの野球会場になって綺麗に化粧直しされたらしい。この公園から日本大通りの銀杏並木へと続くプロムナードは、四季の変化が楽しめる散歩道だ。
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小田原駅に降りて「こんなに大きくて、賑やかな街だったろうか」と驚いている。だが数えてみると、この街を歩くのは56年ぶりになるのだから、様相が一変していても何の不思議はない。そして記憶が薄れているため、どこがどう変わったか判断できないことがもどかしい。駅ビルから連続する商業ビルの3階に設営された空中広場の奥に、小田原城の天守が聳えている。いささか様子がおかしいのは、隣のビルのガラス壁面に映っているからだ。
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夏の終わりの湘南の海は、薄い雲が世界を水色に覆って、季節の移ろいを惜しむ海水浴客に物憂い風を送っている。大磯のこの辺りは、わが国海水浴場発祥の地なのだという。眼前を母子連れが行く。私には、あの児たちの弾む気持ちが手に取るように分かる。70年ほど遡れば、新潟の砂浜で母親に手を引かれ、海と戯れる楽しみに胸高鳴らせる私がいるからだ。遠く江ノ島が霞む、蒸し暑くも穏やかな風景。この平和が、いつまでも続いて欲しい。 . . . 本文を読む
東海道五十三次は、日本橋を出発すると品川・川崎・神奈川・保土ヶ谷・戸塚・藤沢を経て平塚宿に至り、大磯・小田原・箱根と西を目指す。神奈川宿が幕末生まれの横浜に吸収されたと考えれば、これら宿場の並びは現在の街の連続に重なっている。ただ平塚市博物館によると「平塚宿は県内9宿で2番目に戸数の少ない小規模な宿場でした」ということだから、江戸時代と現在の街の規模は必ずしも一致していないようだ。初めての街・平塚を歩く。 . . . 本文を読む
市中に多くの彫刻を配置する街は、全国に随分あるのだろう。私はそうした街を歩くことが好きで、埼玉県だけでも行田と高坂は行ったことがある。作品から作品へ渡り歩きながら、街のニオイを感じることの楽しさから、パブリックアートが充実している街だと耳にすれば、なんとか行ってみようと計画を練る。今日のそれは春日部市で、土地ゆかりの彫刻家が「春日部駅周辺ほど多くの彫刻が凝縮する街を見たことがない」と言うほどらしい。
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「久喜」と聞くと、脱サラをして植木職人になった知人を思い出す。仕事上の付き合いながら、同年輩ということで親しくしていた。その彼が突然「辞めることにした」と言ってきたのだ。40歳を過ぎて植木屋になるという。あまりの畑違いに驚いて「食えるのか」と問い詰めた。「何とかなるさ」と明るく去っていった彼は、久喜から東京・兜町に通勤していた。「久喜の植木屋さん」と想像してみようとするのだが難しい。第一、久喜って何処だ?
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