中国が豊かになったことは、8年ぶりの北京訪問で実感できた。もちろん広大な国家のわずかな「点」を歩いただけだから、その全体像はまるでつかめていないのだろうが、上海と北京という2大都市を経験した限りでは、市民や街は確かにリッチになった。しかしそれだけに「中国」という国家の奇妙さも際立って来た。世界の工場として富を蓄積したにもかかわらず、国際社会と調和のとれた社会を造ろうとする洗練さが見られないのだ。 . . . 本文を読む
突然「イエーイッ」賑やかな歓声が挙がった。思わずカメラを向け、シャッターを切った。「ありがとう」と合図を送ると、女の子が「大阪のチュゴクジンでーす」と応えてくれた。友人らと父祖の地へグループ旅行に来たのだろうか。八達嶺長城までやって来て、うれしくて仕方ないといった風情だ。見渡すと白人やアラブ系、民族衣装の山岳高地族のような集団まで、世界中から観光客がやって来ている。もちろん日本人も多い。 . . . 本文を読む
高浜虚子に「盛りなる花曼陀羅の躑躅かな」の句がある。虚子がどこで詠んだかは知らないけれど、この季節、信濃を旅することは花々の曼荼羅世界に迷い込むことであった。例えば北信濃の小布施はツツジこそ未だであったものの、サクラ、モモ、ボケ、リンゴ、ヤマブキ、ハナミズキと、咲き誇る花弁の競演にむせ返るばかりである。野良の道を行っても、こぎれいな街の賑わいの中にあっても、我が身は花曼荼羅の1片なのであった。 . . . 本文を読む