今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

372 国友(滋賀県)鉄砲も望遠鏡も作ったぞ

2011-08-29 12:04:24 | 滋賀・京都
早朝の余呉湖を一巡りし、小谷城跡に立ち寄った後に姉川の流れを眺めた私たちは、今は国友の集落を歩いている。湖北をひたすら南下して来たのだ。ここ「国友」は、歴史的響きを有する土地にしては閑散とし、国道沿いに現れては消えるありふれた田園風景に融け込んでいる。しかし集落の内には「天文十三年創業」と、鉄砲商の看板が掲げられていたりして、思考が一瞬、停止した気分になる。天文といえば、戦国真っ盛りではないか。 . . . 本文を読む
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371 己高山(滋賀県)あの星は戦火に消えた仏かな

2011-08-24 21:25:54 | 滋賀・京都
湖北・木之本の山中に、己高山(こだかみやま)という標高923メートルの峰がある。岐阜や越前の国境まではなお一息ある里寄りの山だが、さらに奥へ峰を伝えば、白山や飛騨高地にまで連なる大山塊の末端であるといえないことはない。そそり立つ高峰というわけでもなく、山容が目に焼き付く特異さを持っているわけでもない。だが古くから仏教者を惹き付ける何かがあったのだろう、中世には多数の伽藍が甍を並べていたという。 . . . 本文を読む
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370 雨森(滋賀県)観音の里を訪ねて芳洲庵

2011-08-23 11:12:00 | 滋賀・京都
湖北を走っている。山は近いけれど、湖西に慣れた目で眺めると、それでも広々とした野に出た観がある。私たちは奥琵琶湖パークウェイの葛篭尾崎展望台からの眺めを堪能し、琵琶湖最奥の港・塩津を回って賤ヶ岳のトンネルを抜けて来たのだ。木之本地蔵院を右折し、高月の渡岸寺を目指す。観音の里・湖北でもひときわ美しいとされる十一面観音を、ずっと運転役を勤めていてくれるYさんに見せたいのだ。とりあえず雨森は通過する。 . . . 本文を読む
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369 菅浦《下》(滋賀県)密やかに掟を守り絵図残す

2011-08-21 10:56:20 | 滋賀・京都
菅浦文書の中に《菅浦絵図》と呼ばれる古地図がある。葛篭尾崎半島と竹生島を俯瞰していて、細密な竹生島と寂し気な菅浦の入り江が描かれている。国の重要文化財に指定され、現本は滋賀大学経済学部に保管されているそうだが、菅浦の郷土資料館にレプリカが展示してある。須賀神社参道脇にある資料館は、住民が管理しているようで、この日の当番らしきお年寄りは絵図に引かれた1本の朱線を指差し、「これが証拠です」と言った。 . . . 本文を読む
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368 菅浦《上》(滋賀県)湖北なる此処は菅浦行き止まり

2011-08-16 12:50:54 | 滋賀・京都
今回の琵琶湖周“行”の旅は、ここを訪ねるために企画したようなところがある。湖北・西浅井の菅浦集落だ。琵琶湖最北部、葛篭尾(つづらお)崎半島の入り江に張り付く孤絶した里で、何とか立ち寄れないかとこれまで何度もプランを練ってみたのだが、あまりの便の悪さに断念させられて来た、私にとって懸案の地なのである。自治意識が強く、他国者の出入りを嫌う気風が近年まで残っていたという話も、旅情をそそるではないか。 . . . 本文を読む
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367 海津(滋賀県)石を積み水辺に生きる湖西人

2011-08-14 20:13:15 | 滋賀・京都
日常の暮らしが営まれている何気ない生活空間を「重要文化的景観」に指定する制度がある。文化財保護法によれば「地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地で我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことのできないもの」を選定するのだといい、指定することで景観の価値を正しく評価し、地域で護り、次世代へと継承する意識を高めようということらしい。全国で24カ所が選定されている。 . . . 本文を読む
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366 今津(滋賀県)振り向きもされぬ泊火陽を浴びて

2011-08-14 11:23:28 | 滋賀・京都
たまたまそのとき座っていた職員が、ご機嫌斜めだったのかもしれない。しかし街の観光案内所に詰めている以上、たとえ気分は沈んでいたとしても、窓口に「街の地図をいただけますか?」と旅行者が立ったら、睨みつけたうえにアゴでその置き場を指し示したりしない方がいい。地図を欲しがるのは遠来の客であるに決まっている。その一瞬の対応で、せっかくの街の印象が損なわれかねないからだ。近江今津駅の案内所でのことだ。 . . . 本文を読む
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365 饗庭(滋賀県)しみじみと望む山の端饗庭野の

2011-08-12 13:16:15 | 滋賀・京都
高島市の中ほどに《饗庭》という土地がある。中世以前に遡る古い地名で、昭和30年に2村合併で新旭町となるまでは、饗庭村として長い歴史を刻んで来た。西部の台地は饗庭野と呼ばれ、自衛隊饗庭野演習場にその名を伝えている。かつての近江国高島郷に含まれる新旭町、今津町、安曇川町、高島町、マキノ町、朽木村は平成17年に合併し、高島市となった。饗庭という古風な響きは、ますます時代に埋もれて行くかのようである。 . . . 本文を読む
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364 高島(滋賀県)湖上遥か湖西は今日も静まりて

2011-08-08 10:18:50 | 滋賀・京都
湖西に向かっている。堅田を出発し、琵琶湖を右手に見ながら北上している。左手は比良山系になるのだろうか、山が近い。湖西に向かうとはいっても、どこからが「琵琶湖の西」になるのか、私には手がかりがない。平行して見え隠れするJR湖西線は小野―和爾―蓬莱―志賀と、いかにも古風な駅名が続く。高島市に入って間もなく、湖上に鳥居が建っていた。白髭神社という。近江最古の神社らしい。ここはもう湖西であるに違いない。 . . . 本文を読む
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363 瀬田(滋賀県)唐橋は急がば回れの天下取り

2011-08-02 20:10:42 | 滋賀・京都
唐橋を制するものは天下を制す、のだそうだ。大津市の東郊、瀬田川に架かる「瀬田の唐橋」のことだ。たかが橋の分際で天下を左右するとは大げさな、などと侮ってはいけない。数多の血戦を目撃し、辛酸をなめて来た橋なのだから。だが平和な世では車が行き交い、自転車の少女がぽつねんと川を見下ろし、練習中のレガッタが川面に航跡を残して潜り抜けて行くだけである。姿は唐風というより、日本の地方にすっかり融け込んでいる。 . . . 本文を読む
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