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この国にかつて、限りなく膨張したバブル景気があった、ということを懐かしみたいなら、ここ六本木ヒルズに来たらいい。その象徴であるメタボ・タワーは、尾花打ち枯らして蜘蛛の巣が張っているのかと思ったら、それは単なるモニュメントだった。それにしてもバブルの塔に蜘蛛を配するとは、絶妙なプロデューサーがいたものである。だから奇才浮世絵師・歌川国芳の没後150年展がここで開催されることになったのか?
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タワー52階の森アーツセンターで《国芳展》を観る。浅草で新春歌舞伎を観てから浮世絵鑑賞だから、すっかり高齢者行動である。驚いたことが二つ。よほど保存状態が良かったのだろうか、「へいっ、刷り上がり!」という掛け声が聞こえて来そうなほど、展示作品の色彩が鮮やかなこと。そして平日(月曜日)の午後だというのに、大変な数の入場者だったこと、である。浮世絵人気か国芳観たさか、いやはや驚くべき熱気だ。
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総じていえば浮世絵は、絵画サイズとしては小品であるし、その出自がブロマイドのような大量印刷物であるから、展覧会はおおむね地味なものである。しかも雨天の平日なのだから会場はガラガラに違いない、という私の予想は全くはずれた。タワーの空中美術館は、国芳をつくづく眺めようと入場者が重なり合うように覗き込んでいる。それも若い女性が多い。浮世絵に対する私の思い込みは、かなり修正しなければならないようだ。
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浮世絵といえば北斎、広重、歌麿、写楽あたりが大スターだろうが、近年は国芳の奇才ぶりもよく紹介されるようになった。国芳の奇抜なパロディが時代に似合って来たのか。隅田川河畔にスカイツリーの出現を予測したかのような塔が描かれていたりして、むしろ大スターを凌ぐ人気者になっているのかもしれない。私はそうした時流に取り残されつつあるのだろう。
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それにしても国芳の筆の達者さは、驚くばかりである。こうした才能は、どのような対象でも形を造り上げることができるのだろう。国芳がミケランジェロに代わりシスティーナ礼拝堂の天井画を描いたら、どんな作品を残しただろうか、などとバカなことを考えた。帰ったばかりのローマのことが、なかなか頭を離れないせいなのだが、人類はどんな拍子にどんな確率でこうした才能を生み出すのだろう。それが神の成せる業というものか。
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ただ今回、私が感嘆したのは、絵師・国芳の達者さ以上に、彫師の技の凄さである。新聞活字よりはるかに細かい仮名文字を、柔らかな筆跡もそのままに版木にくっきりと彫り上げている。江戸時代の専門分業システムが到達した神業であろう。
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バブルの本山で浮世絵を考えるとは、思いがけない展開ではあるけれど、浮き世を写すという目的ではヒルズを歩くことと浮世絵を鑑賞することに、何か通じるものがあるかもしれない、などとこじつけてみる。そんな気分で窓の外を見ると、雨に煙っている東京タワーと、自分が同じような高さにいることが奇妙に思えた。
浅草歌舞伎で若手役者の八犬伝を見た後だから、国芳の武者絵を前にすると頭が混乱した。江戸の町民になった気分でタワーを降りると、いまだバブルの残臭が漂っているヒルズが雨に煙っていて、地下鉄へのエスカレーターが深いトンネルに下って行くにつれ、現実の世界に吸い込まれて行くような気分になった。(2012.1.23)
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タワー52階の森アーツセンターで《国芳展》を観る。浅草で新春歌舞伎を観てから浮世絵鑑賞だから、すっかり高齢者行動である。驚いたことが二つ。よほど保存状態が良かったのだろうか、「へいっ、刷り上がり!」という掛け声が聞こえて来そうなほど、展示作品の色彩が鮮やかなこと。そして平日(月曜日)の午後だというのに、大変な数の入場者だったこと、である。浮世絵人気か国芳観たさか、いやはや驚くべき熱気だ。
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総じていえば浮世絵は、絵画サイズとしては小品であるし、その出自がブロマイドのような大量印刷物であるから、展覧会はおおむね地味なものである。しかも雨天の平日なのだから会場はガラガラに違いない、という私の予想は全くはずれた。タワーの空中美術館は、国芳をつくづく眺めようと入場者が重なり合うように覗き込んでいる。それも若い女性が多い。浮世絵に対する私の思い込みは、かなり修正しなければならないようだ。
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浮世絵といえば北斎、広重、歌麿、写楽あたりが大スターだろうが、近年は国芳の奇才ぶりもよく紹介されるようになった。国芳の奇抜なパロディが時代に似合って来たのか。隅田川河畔にスカイツリーの出現を予測したかのような塔が描かれていたりして、むしろ大スターを凌ぐ人気者になっているのかもしれない。私はそうした時流に取り残されつつあるのだろう。
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それにしても国芳の筆の達者さは、驚くばかりである。こうした才能は、どのような対象でも形を造り上げることができるのだろう。国芳がミケランジェロに代わりシスティーナ礼拝堂の天井画を描いたら、どんな作品を残しただろうか、などとバカなことを考えた。帰ったばかりのローマのことが、なかなか頭を離れないせいなのだが、人類はどんな拍子にどんな確率でこうした才能を生み出すのだろう。それが神の成せる業というものか。
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ただ今回、私が感嘆したのは、絵師・国芳の達者さ以上に、彫師の技の凄さである。新聞活字よりはるかに細かい仮名文字を、柔らかな筆跡もそのままに版木にくっきりと彫り上げている。江戸時代の専門分業システムが到達した神業であろう。
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バブルの本山で浮世絵を考えるとは、思いがけない展開ではあるけれど、浮き世を写すという目的ではヒルズを歩くことと浮世絵を鑑賞することに、何か通じるものがあるかもしれない、などとこじつけてみる。そんな気分で窓の外を見ると、雨に煙っている東京タワーと、自分が同じような高さにいることが奇妙に思えた。
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浅草歌舞伎で若手役者の八犬伝を見た後だから、国芳の武者絵を前にすると頭が混乱した。江戸の町民になった気分でタワーを降りると、いまだバブルの残臭が漂っているヒルズが雨に煙っていて、地下鉄へのエスカレーターが深いトンネルに下って行くにつれ、現実の世界に吸い込まれて行くような気分になった。(2012.1.23)
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ちょうど150年目にツリー開業とは奇縁です。