新潟市は私のふるさとである。だがすでに親はおらず家もない。この場合、「新潟に帰る」という表現は正しいだろうか。もはや他所者として「新潟に行く」と言うべきなのだろうか。こんなことで迷う私を、安吾は「ふるさとは語ることなし」と突き放す。その石碑が建つ砂山を遊び場にしていた元少年は、安吾の齢をとっくに超えていながら、いつまでもグダグダと故郷を語り続けたがる。そしてこの季節、ナス漬けとカキノモトを食べたがるのだ。 . . . 本文を読む
いきなり「新潟に行きたい」という想いが湧いてきた。「何のために」と質されても思い浮かぶ理由はなく、久しぶりの「帰郷」になる。顔を見せれば喜んでくれる親戚知人は多いはずだが、墓参りのためでもなく、ただ行きたくなったのである。これが年寄りの感傷というなら気恥ずかしいけれど、新潟の街の空気に身を浸せばそれで満たされる程度の想いのようである。小学校入学前の短時日を過ごした中心街へ、妻を誘って「とき」に飛び乗った。 . . . 本文を読む
社会人となって群馬に赴任したころだから、私は20代半ばだった。近くで縄文時代の遺跡が見つかったというので発掘現場を見に行った。そこは広大な台地上に、竪穴住居跡が重なり合って出土する集落跡だった。作業を指揮する調査員らに近づくと、「ほとんどカソリイーだな」「そうか、じゃあチューキか」などという会話が耳に届いたけれど、何のことかさっぱりわからない。だがやがて「こんな面白い世界があったのか」と気づいたのだった。
. . . 本文を読む
佐倉市のサイトによると、市は「千葉県北部、下総台地の中央部に位置し、都心からの距離は40キロ」なのだという。このエリアに疎い私には、大雑把に「成田空港の手前の街」と理解した方が早いようだ。城址を中心に武家屋敷が残る古い町並みと、東京や千葉のベッドタウンとして開発されたニュータウンで形成されているようで、17万人ほどが暮らす。私は「国立歴史民俗博物館がある街」として、かねて訪ねる機会を待っていたのである。 . . . 本文を読む
小田原駅に降りて「こんなに大きくて、賑やかな街だったろうか」と驚いている。だが数えてみると、この街を歩くのは56年ぶりになるのだから、様相が一変していても何の不思議はない。そして記憶が薄れているため、どこがどう変わったか判断できないことがもどかしい。駅ビルから連続する商業ビルの3階に設営された空中広場の奥に、小田原城の天守が聳えている。いささか様子がおかしいのは、隣のビルのガラス壁面に映っているからだ。
. . . 本文を読む