今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

362 大津京(滋賀県)大宮はここと聞けどもささなみの

2011-07-29 10:34:20 | 滋賀・京都
お宮参りなのだろう、祖母が抱く赤子を中心に、一族そろって写真館の注文に従い、整列している。大津市西郊の近江神宮楼門でのことだ。「ささなみの志賀の都」はこのあたりだろうかと石段を上って来たら、出会ったのは赤ちゃんの安らかな眠りであった。なにしろ宮跡は、柿本人麻呂でさえ「大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言えども・・」と、荒れたる都を過ぎながら悲しんだほどなのだから、いまや分かろうはずがない。 . . . 本文を読む
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361 堅田(滋賀県)湖上には雁の代わりか風渡り

2011-07-28 14:38:21 | 滋賀・京都
琵琶湖の南部、湖面が最もくびれた地点に琵琶湖大橋が架かっている。守山市と大津市西部を結ぶ1.4キロメートルの有料橋だ。守山市側(東側)から乗り入れて対岸に近づくと、橋の左手湖岸に、切り妻造りの民家が密集して続く街が見えて来る。堅田だ。古くからその地の利を生かし、琵琶湖水運の利益で自治を守った湖族の本拠地である。街なかも落ち着いた風情をよく残しているけれど、橋から見晴るかす街の俯瞰は実に美しい。 . . . 本文を読む
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360 長命寺(滋賀県)この命長らえたかないざ漕がん

2011-07-27 10:40:04 | 滋賀・京都
琵琶湖周航の歌が最後の6番で《西国十番/長命寺/汚れの現世/遠く去りて》と詠う姨綺耶山(いきやさん)長命寺にやって来た。本来なら808段の参道を登るべきであろうが、坂道に弱い私のこと、山腹の駐車場まで自動車の力を借りた。それでもそこからなお188段も登らなければならなかった。近江八幡の八幡山の北側に、一段と大きな山塊となって湖を隔てる標高423メートルの姨綺耶山は、近年までは「島」だったのである。 . . . 本文を読む
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359 近江八幡(滋賀県)歓声を挙げて帰る子近江の子

2011-07-26 14:49:07 | 滋賀・京都
小学生が下校して行く。先を行く男の子に、女の子たちが大きな声で呼びかけている。みんな楽しくてたまらないのだろう、声が弾んでいる。ここは近江八幡の八幡堀に架かる白雲橋の上。ちびっ子たちはかつての近江商人の邸宅が建ち並ぶ伝統的建造物保存街区から、大鳥居をくぐって街の守護神・日牟禮八幡宮方向へと帰って行く。その先には八幡山城跡に登るロープウエーの乗り場もある。橋は、観光・近江八幡の銀座四丁目なのである。 . . . 本文を読む
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358 石塔(滋賀県)沈黙は1400年なり石の塔

2011-07-22 23:50:04 | 滋賀・京都
この塔が見たかった。東近江市石塔町にある石塔(いしどう)寺の三重石塔である。本堂脇から158段の石段の上に立つ塔は、まずその高さに驚かされる。そして姿のよさに見とれる。奇麗などと簡単に言ってしまっては薄っぺらである。しかしだからといって奇妙な、というわけでもない。石をざっくりと加工し組み上げただけなのに、そこに不思議なバランスが生じている。個々の石材はずしりと重く、しかし姿は軽やかなのだ。 . . . 本文を読む
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357 多賀(滋賀県)イザナミと離縁の後に鎮座せり

2011-07-22 13:10:11 | 滋賀・京都
国産みを果たしたイザナギの「その後」について、日本書紀は「幽宮を淡路の洲に構りて、寂然に長く隠れましき」と語る。しかし古事記は「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」と明記し、近江・多賀大社の祭祀を裏付ける。淡海か淡路か? 淡路島にも津名郡一宮町に「多賀」の地があって、伊佐奈伎神社が現存するからややこしい。ただ人々は「お伊勢七度熊野へ三度お多賀さまへは月参り」と、もっぱら近江路を目指したのだった。 . . . 本文を読む
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356 彦根(滋賀県)近江路は陸行するには熱暑なり

2011-07-20 23:33:06 | 滋賀・京都
米原駅で新幹線を降り、レンタカーに乗り継いで旅をスタートさせた。《周航》ならぬ、琵琶湖一周の陸路を行く《琵琶湖周行の旅》である。湖岸延長が235キロメートルの琵琶湖を、4日間かけて車で周遊しようというのだから時間的な余裕は十分にある。問題は暑さだ。例年になく早く梅雨明けした近江路は、しっかり焼け焦げているに違いなく、この日も午前10時ですでに猛暑である。時計回りに方向をとり、まずは彦根に向かう。 . . . 本文を読む
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355 デンデラノ(岩手県)・・・年寄りは寄り添うてこそ口糊し

2011-07-14 12:34:18 | 岩手・宮城
遠野物語で私が最も衝撃を受けたエピソードは、巻末に採録されたデンデラノ(柳田は『蓮台野』の文字を当てている)のことである。「六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野へ追ひやるの習ひありき。」という、姥捨て伝説らしき風習である。そして驚くべきは「老人はいたづらに死んでしまふこともならぬゆえに、日中は里へ下り農作して口を糊(ぬら)したり。」との記述だ。では捨てられた親は、息子と顔を合わせることもあったのか? . . . 本文を読む
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354 遠野(岩手県)・・・マヨヒガにザシキワラシとオシラサマ

2011-07-13 15:43:31 | 岩手・宮城
遠野の宿は大震災の被災者が避難していて、どこもいっぱいだった。ようやく見つけた民宿にも、大阪の病院から応援に来ている医師・看護師や、被災地の復旧に当たっている土木関係者らが長期滞在しているようだった。私も釜石で津波被害の様子を確認し、ここまで戻って来たところなのだ。30年ほど昔、釜石に行く途中この街を通過し、いつか立ち寄ってみたいと思い続けていた遠野である。もちろん「遠野物語」に惹かれてのことだ。 . . . 本文を読む
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353 角館(秋田県)・・・髷を結い脇差し差して歩こうか

2011-07-13 11:17:29 | 青森・秋田
賑やかに会話を弾ませて、そろいの和服姿のご婦人連が行く。声は聞こえても意味は理解不能だ。ディープな秋田弁なのだ。武家屋敷が、往時のままに保存されている希有な街路が残っていると、余りにしばしば耳にするものだから、秋田新幹線で通りかかったのを機に角館駅で下車した。なるほど不思議な街である。古い武家屋敷もさることながら、庭を埋める巨木が凄い。そして何よりも、オバさまたちのイントネーションが素晴らしい。 . . . 本文を読む
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352 秋田(秋田県)・・・霧雨に濡れて歩けば久保田城

2011-07-12 20:46:18 | 青森・秋田
秋田市にはこれまで2度訪れているのだが、これといった記憶がない。その際に案内していただいた白神山地や八森漁港などはリアルに覚えているというのに、この違いはいったいどうしたことだろう。それほど特色のない街なのだろうか? やはり足を使わなければと、短時間ではあったが駅から中心市街地あたりを歩いてみる。記憶か想像か判然としないけれど、私の想い描いていた街よりおしゃれで、落ち着いた風情を感じた。 . . . 本文を読む
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351 北上(岩手県)・・・人よりも文字が氾濫がんばろう!

2011-07-12 14:51:55 | 岩手・宮城
私は初めての街に行くと、早朝の駅で通勤の人波を眺める機会を窺う。一日の活動に向けて市民の生き生きした表情に接し、その街が身近に感じられるからだ。岩手県北上市で宿泊したこの朝も、午前8時ころの北上駅前にいた。列車が到着したのだろう、おじさんおばさんに混じって高校生の集団が元気に登校して行く。ところが視界を遮る幟旗がうるさい。全国高校総体の歓迎幟である。気が付くと、駅前は看板類の氾濫ではないか。 . . . 本文を読む
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350 弘前(青森県)・・・方言は聴くより感じる土地の声

2011-07-11 16:43:25 | 青森・秋田
本州最北端にあって、下北と津軽の二つの半島が陸奥湾を包む青森県に、弘前という街がないと仮定してみよう。ねぶたで賑わう青森市や、港湾都市として活気づく八戸市など、味わい深い街々があるとはいえ、《文化》という観点では大きな空洞が生じてしまうのではないか。武家文化が沈潜し、東奥義塾が生まれ、文学に関わる人々が厚い層を形成した弘前があるから、陸奥は存在し得るのではないか。他所者の買いかぶりだろうか。 . . . 本文を読む
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349 浪岡(青森県)・・・津軽にはリンゴ畑とよき孤独

2011-07-10 16:52:13 | 青森・秋田
「リンゴはね、同じところに五つ実を付けます。その中の一つを残し、残りは摘んでやることで大きく育つのですよ」と、文(ふみ)さんが教えてくれた。このお方、旧姓は「常田」であるが、現在がどうなのかは聞きそびれた。青森市浪岡のリンゴ畑である。屋敷内と言っていいような一角に、それでも数十本のリンゴが手入れされ、一株で200個ほどのリンゴが実る。その奥に、画家・常田健が終生のアトリエとした土蔵が建っている。 . . . 本文を読む
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348 釜石(岩手県)・・・炎天下がらんどうの街を行く

2011-07-05 10:33:43 | 岩手・宮城
大震災発生から3ヶ月半、釜石では瓦礫の多くはとりあえずの空き地に集められ、道路は通行可能になっていた。しかしそれは街の中心域に限られたことで、港に行くと巨大な貨物船が防波堤に乗り上げ、その先は通行止めなのだった。ジリジリと日に照らされた街に人の気配は薄く、奇妙な静寂が支配している。こうした街が沿岸数百キロに累々と続いているのだと頭の中ではわかっているのだが、受け入れるには余りに過酷な惨状である。 . . . 本文を読む
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