かつらぎ町営のコミュニティーバスは、家庭用のワンボックスカーに料金箱をつけただけの可愛いものだった。しかし乗客はおじいさんと私だけだから、車内はゆったりしていると言えないこともない。道は紀ノ川を渡るとすぐに山となり、つづれ織りを繰り返しながら登って行く。やがてトンネルとなって峠を越えたのだろう、突然、陽光あふれる野に飛び出した。見渡す限り稲穂に埋まる黄金郷である。天野だ!
その最初の印象は「広 . . . 本文を読む
還暦が近づいて、リタイア後の計画を練っていたころ、《どうしても行ってみたい土地がある》と書いたことがある。《「天野」である。高野山へのメインルート「高野街道」が通じる和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野。丹生都比売(にうつひめ)神社が鎮座する山中の小天地らしい。山路を行く覚悟を固めるため、休日はウォーキングを心がけ、地図を点検し、空想散歩で脳内ストレッチを繰り返している。今の気分は「早く来い、定年」な . . . 本文を読む
もう、一昔も前のことになるが、奈良県五條市から和歌山市まで、JRのローカル線に乗って旅をしたことがある。大阪に帰るには、和歌山県に入って間もなくの橋本駅で南海電車に乗り換えれば済む話なのだが、紀ノ川の右岸を川に沿って延々と下っていく路線を地図上に眺め、乗ってみたくなったのだ。暇だったのである。世の中をリタイアし、さらに暇になったものだから、今度は橋本で下車してみることにした。
街の形成には地形 . . . 本文を読む
《美》に出会いたい。人はなぜそうした欲求に襲われるのだろうか。絵画であれ音楽であれ、はたまた風景や人物でも、美しいものに出会うことは人間の根源的喜びである。「なぜそうなのか?」と考えてみたいのだが、答えはなかなか見当たらない。その時も、大阪の雑踏を歩いていた私は「美しいものを眺めたい」という衝動に駆られた。そこで生駒を目指す。今日の《美》は建造物である。そこには美しいお堂があるはずなのだ。
「 . . . 本文を読む
抜けるような青空に誘惑されて、天保山(てんぽうざん)の巨大観覧車に乗り込んだ。大阪のベイエリアである。直径が100メートルあって、いちばん高いところは地上130メートル余なのだと、ゴンドラの中まで誇らしげなアナウンスが響いて来た。東に生駒、西に六甲を従えて、淀川が南下して来る眺望は確かに雄大だ。かつてはこの国の富と権力のほとんどを集中させた大地である。それが今や、何という「様」か。
湾の方向に . . . 本文を読む
高崎市の東郊に「群馬の森」という県立公園がある。明治百年を記念して、建設省が全国で進めた森林公園整備の群馬版として建設され、昭和49年にオープンした。そのころ私は群馬で暮らしていて、公園と同時に開館した県立美術館に出向いて開館記念展を観たのだった。群馬出身の作家を集めた企画展で、湯浅一郎、山口薫、福沢一郎らがメインだったように思う。久しぶりに立ち寄ると、また山口薫展が開催されていた。
公園はト . . . 本文を読む
長野駅で信越本線に乗り継ぎ30分ほど、穏やかな山里の風景を眺めながら到着した黒姫駅は、思いがけない肌寒さだった。すでに彼岸に入っているとはいえ、東京ではまだ残暑がしつこく居残っているものだから、高原の涼気に身体は驚いたようである。そのうえ駅前で乗り込んだタクシーは暖房を入れている。狭いとはいえ日本もなかなか奥が深い、などと妙に感心しながら「野尻湖へ」と告げたのだった。
この小さな駅には3ヶ月前 . . . 本文を読む