「なこそ」という言葉を耳にすれば、誰もが「関」と続けるだろう。そして「吹く風を勿来の関と思へども・・」と、源義家の歌を口ずさむ人もいるかもしれない。それほど人口に膾炙しているにもかかわらず、関の実体は茫漠として、いまだ歴史の焦点が定まっていないらしい。ひょっとしたら古代の都人が、遠い異境を歌意に含ませるために、共有言語として仕立て上げた歌枕なのかもしれない。吹く風の如く、目には見えない地・・。 . . . 本文を読む
もう15年になるだろうか、福島県の母畑温泉で開かれた会合に出席し、翌日は水戸でも会議をこなす出張に出た。水戸へは夕刻に到着すればいいので時間は十分ある。水郡線というローカル列車でのんびり向かうことにし、磐城石川駅で乗車した。しかしその列車は常陸大子駅止りで、後続の水戸行きまでだいぶ間が空くことが乗車してから分かった。そうした経緯で計らずも立ち寄った大子(だいご)という街に、私は大いに魅せられた。 . . . 本文を読む
この日は五浦で宿泊することにしていたので、日立の街を後にした私たちは、常磐自動車道で北茨城市を目指した。海岸からやや山寄りを北上しているのだろう、小さなトンネルをいくつも通過する。このあたりは阿武隈山系南端の多賀山地と呼ばれる低山地帯で、特段に眼を惹く風景ではない。しかし「日本列島はここから始まった」と知れば興味は一変する。5億年前のカンブリア紀。ここに生まれた岩盤を核に、列島は形成されたらしい。 . . . 本文を読む
太平洋に緩やかな弧を描く茨城県の海岸線は、利根川河口から勿来関まで南北190キロあって、那珂川を境に南は鹿島灘の砂浜が続き、北はしだいに岩礁帯となって五浦海岸に至る。ひたちなかから北上している私たちの旅は、海浜公園を過ぎると東海村の原子力ゾーンになって海はしばらく隠され、久慈川を渡ると再び太平洋が現れ日立市に入った。茨城県は南に鹿島コンビナート、北に日立という、二つの大工業立地に恵まれている。 . . . 本文を読む
水仙の咲き誇る丘の上から、大きく手を振っている女性2人は母娘だろうか。私の隣でカメラを構えているおじさんに合図しているようだ。いかにも早春にふさわしい和やかな構図になったから、横着をして私もシャッターを切らしていただいた。ここは、ひたちなか市の浜辺に広がる国営ひたち海浜公園だ。かつては陸軍の飛行場として使われ、敗戦後は米軍の射爆場になった辛い歴史の砂丘地だが、いまは家族連れが平和を満喫している。 . . . 本文を読む