今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

1172 南会津(福島県)遥かなり南会津に風わたる

2024-06-21 06:00:00 | 山形・福島
山並みを遠望する時、山上の風景や山麓の暮らしは連想するのだけれど、では「山の向こう側はどんな世界なのだろう」と考えることはあまりない。新幹線で栃木・福島県境あたりを通過する時がそうだ。雄大な那須連山の風景を楽しみながら、思いを馳せるのは那須高原の記憶であり、向こう側のことはと考えた試しがない。そこは奥会津と呼ばれる広大な山地が広がっているらしいのだが、行ったことがないから想像しようがない。地図を開く。 . . . 本文を読む
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1171 檜枝岐②(福島県)奥山に秘境は遠く檜枝岐

2024-06-20 06:00:00 | 山形・福島
緑に埋まる大山塊の、伊南川(檜枝岐川)の谷をわずかに引っ掻いたような平地に営まれる檜枝岐村。集落の中程に架かる前川橋に「オコジョの母子像」が置かれている。オコジョはイタチ科の哺乳類で、尾瀬にも生息しているものの準絶滅危惧種に指定され、尾瀬ビジターセンターは目撃者に発見証明書を発行している。檜枝岐村はロゴマークにこの山の人気者を採用し、大自然と共に生きる暮らしの意気込みを示している。今日も山は快晴である。 . . . 本文を読む
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1170 檜枝岐①(福島県)陽を浴びて語ることなし六地蔵

2024-06-19 11:10:36 | 山形・福島
紅い頭巾と涎掛けのお地蔵様が並んでいる。その前を駆けて行く子供たちは村の中学生だろう。揃いのトレーナーには大きく「桧枝岐」の文字が見える。ここは福島県の最南西端、尾瀬の麓の檜枝岐村だ。奥只見・奥利根・奥日光と、奥山に抱かれた「秘境」についにやって来たのである。いったいどんな歴史と暮らしがあるのだろうと興奮を噛み締めながら歩いている私に、子供たちは明るく軽く「こんにちはー」と挨拶を送ってくれるのである。 . . . 本文を読む
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1169 御池(福島県)尾瀬の口で芳しい涼風に包まれる

2024-06-14 14:39:00 | 山形・福島
湿原の水の溜まりに初夏の白雲が映り込み、濃い緑の中に真っ白な光を放って水芭蕉が群生している。私が撮ったこの写真を観れば、誰もがここは「尾瀬」だと解るであろう。そう、尾瀬なのだ。だからといって「尾瀬に行ってきた」とは、いくら図々しい私でも言いそびれる。福島県側の尾瀬への登山口である「御池」から木道を500メートルほど歩き、「田代」と呼ばれる小さな湿原に分け入っただけなのだから。それでも尾瀬である。空気が芳しい。 . . . 本文を読む
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1163 二本松(福島県)満開の花は「ほんとの空」の下

2024-04-22 08:47:53 | 山形・福島
「正面の山並みは安達太良連山で、中央の山頂が尖っている峰が安達太良山です」。私は「二本松 春さがし号」という市内循環の臨時バスに乗り、一人だけの乗客であることをいいことに、運転手さんとの会話を楽しんでいる。道路の先を塞ぐお城山を、淡いピンク色に染めているのは満開の桜だ。まるで丘にたなびく霞か雲で、二本松城が霞ヶ城と呼ばれる所以がよくわかる。二本松は「智恵子の街」である。だとすればあの空が「ほんとの空」か。 . . . 本文を読む
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1162 三春(福島県)山里を埋め尽くしての桜花

2024-04-21 09:14:35 | 山形・福島
「樹齢千年以上」という推定が正しければ、芽吹いたのは紫式部が源氏物語を書いていたころになる。福島県三春町の滝桜である。それから150年ほどして、奥州・平泉を目指す西行が近くを歩いて行った。「花の下にて春死なん」と願ったほどの桜好きの西行だから、評判が高まっていれば立ち寄ったかもしれないけれど、そうした記録はない。まだ特段目立つベニシダレザクラではなかったのだろう。そして滝桜は今、私の眼前で咲き誇っている。 . . . 本文を読む
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1067 会津若松(福島県)赤ベコの街に紅葉が彩を添え

2022-11-15 13:44:11 | 山形・福島
鶴ヶ城を訪ねると、遠足の小学生たちが賑にやって来る。65年前、小学6年生の私は新潟からの遠足児童としてここにいた。そして18年前にも妻と訪れ、こんなことを書き残している。「その街のニオイを嗅ぎ取るには、宿泊してみる必要がある。夜、暗く沈んだ裏通りで地酒を酌み、土地の言葉を聴く。明けて朝靄の街路を歩いて駅に行く。そこでせわしく通勤・通学する人たちを観察していると、その土地がほんの少し分かったような気分になる」 . . . 本文を読む
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1066 三島(福島県)踏ん張って豪雪と過疎アーチ橋

2022-11-14 10:26:58 | 山形・福島
只見線の車窓を楽しむことが目的の旅だけれど、せっかくの「奥会津」だから山の中で1泊しようと考えた。駅に近い宿泊施設を探すと、会津宮下駅の近くに旅館が見つかった。そんな消極的な理由ではあったものの、おかげで初めて知る三島町で、通過するだけでは知り得ない山里の暮らしをわずかながらも垣間見ることができた。700世帯1420人が暮らす町の中心部は、只見川沿いの東西1キロ、南北200メートルほどの平坦地である。 . . . 本文を読む
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1065 只見(福島県)「お帰り」と手を振る人の只見線

2022-11-09 17:28:06 | 山形・福島
只見線が復旧し、運行が再開されると聞いて「これは行かなければ」と気が急いた。というのも小出(新潟県)と会津若松(福島県)を結ぶこのローカル線は、いつか乗ってみたいと思いつつ、2011年夏の豪雨で路線が寸断されてしまったのだ。幾つかの被災区間は翌年には復旧されたものの、福島県最奥部の只見駅―会津川口駅間は復旧費用の大きさなどから議論が起こり、廃線の危機さえ報じられていた。実に11年ぶりの全線再開なのである。 . . . 本文を読む
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993 白河関(福島県)一人来て白河の関冬構え

2021-11-26 22:53:53 | 山形・福島
パンデミックで空港などの水際対策の重要性が再認識されたが、これは現代の「関」の強化ということだ。古代、この列島で初めて誕生した国家権力である大和朝廷は、外敵からの侵入を防ぎ、国境の防備を固めるために「関」を設けた。飛鳥時代から奈良時代にかけて鈴鹿・不破・愛発の「三関」が営まれた。つまりはこのラインが当時の大和政権の国境だったわけだ。平安時代になるとそのラインは、勿来・白河・念珠の「奥羽三関」へと拡大する。 . . . 本文を読む
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992 白河(福島県)わが街は「楽しくあれ」と笑顔満ち

2021-11-25 20:45:51 | 山形・福島
勤労感謝の日だから学校は休みだろうに、小学生の集団が列をなして歩いて行く。城跡公園の方角だから、お城で校外学習があるのだろうか。閑散とした朝の駅前大通りを行く私は目立つ存在なのだろう、まず先生が「こんにちわー」と大きな声を掛けてくる。低学年は続いて一斉に「こんにちわー」と笑顔を向けてくれる。しかし高学年ともなると先生の声に唱和することなく、ぼそぼそと声が小さい。福島県白河市で知る「子供の成長の証」である。 . . . 本文を読む
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953 新庄(山形県)お囃子が聞こえて来るよ新庄やたい

2021-07-04 12:27:15 | 山形・福島
小柄なおばあさんが曲がった腰を「よーいしょ」と伸ばし、展示されている賑やかな飾り物を見上げている。「あーまた祭りが来るのー、今年はどんな山車(やたい)が見られるっかねぇ」とつぶやいているのかもしれない。山形新幹線・新庄駅のホール。飾られているのは「新庄山車まつり」の歴史絵巻だ。歴史上の名場面などを題材に、各町内の若連が毎年手作りしているのだとか。8月24日からの3日間、この賑やかな彩りが街を沸き立たせる。 . . . 本文を読む
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951 相馬【福島】野馬追の日を待つ報公の街

2021-07-01 08:20:42 | 山形・福島
浜通り最北に近い相馬駅に降りたときは、雨雲はまだかろうじて滴の落下を堪えていた。しかし相馬中村城跡の妙見中村神社にたどり着いた時には、重要文化財の社殿を覆い隠すかのように大粒のシャワーが降り注いできた。華奢な傘はほとんど役に立たず、慌てて着込んだパーカーはみるみる水浸しである。ズボンも膝から下はぐっしょり濡れ、靴はとっくに水溜り状態だ。これではコロナウィルスも近づけないだろうと、せめて自分を慰める。 . . . 本文を読む
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950 浪江(福島県)緑濃き山河に赤く線量分布

2021-06-29 17:36:19 | 山形・福島
福島の人は県域を「会津」「中通り」「浜通り」と三つに分ける。この「浜通り」を、南端の「いわき」を除けば私は知らない。そのことを意識して旅行を計画した矢先に東日本大震災が起きた。原発事故が重なって、とてもお邪魔できる状況ではなくなった。それから10年、不通が続いていた常磐線はようやく全線が復旧した。特急「ひたち」で行ってみる。浪江の避難解除地域を歩く予定を組んだのだが、空模様が怪しくなり通過、車窓の旅である。 . . . 本文を読む
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745 郡山(福島県)鉄道と安積疎水が街育て

2016-12-09 21:06:20 | 山形・福島
郡山駅前に建つ24階建て高層ビルの展望ロビーに、明治の郡山駅の模型が展示されている。小さな蒸気機関車が行く「東北線」の線路を前にした簡素な木造平屋に、「初代郡山駅」と説明がある。駅前には畑が広がり、その先の街道沿いは瓦屋根の2階屋が並ぶ。東北線が塩釜まで延伸開通したのは1887年(明治20)年。郡山駅もその年に開業している。それから130年。この街の変貌は、全国でも類例の少ない激しさではなかったか。 . . . 本文を読む
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