今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

541 高山(群馬県)宇宙から眺めるそこは桃源郷

2013-10-28 20:35:13 | 群馬・栃木
関東平野に広大な流域を形成する利根川だが、悠々たるその流れも群馬の渋川あたりまで遡ると、さすがに平坦部は狭まり、東を赤城山に、西を榛名山、そして北を子持山と小野子山が塞いで、それより奥は上信越の山塊に分け入ることになる。高山村は、その子持・小野子の稜線に隠れるように、山の北側の盆地にひっそりと静まる村である。かつては越後に通じる三国街道の宿場として賑わったらしいけれど、いまや隠れ里の風情が濃い。 . . . 本文を読む
コメント

540 草津(群馬県)このお湯は誰のものかと湯冷めする

2013-10-28 19:28:52 | 群馬・栃木
子供のころの同級生と草津温泉に泊まり、少年に還った。ホテルは6人まとまると貸し切りにできるというので、6人目は無理に頼んで新潟から駆け付けてもらった。小さなロッジではあったけれど、貸し切りのおかげでリラックスでき、草津の湯を堪能した。草津はその湯量・薬効において、紛れもなく天下の名湯である。しかし温泉とは地中から湧き出す熱湯に過ぎない。つまり大地の恵みなのであって、それがなぜ「私有」されるのだろう。 . . . 本文を読む
コメント

539 八ッ場(群馬県)沈み行く美田を最後に見下ろして

2013-10-26 19:49:49 | 群馬・栃木
これを「やんば」と読むことができるのは、私が群馬で暮らしたことがあるからで、それは40年以上昔のことになる。当時すでに「八ッ場ダム建設計画」は県政の大テーマになっており、群馬県北西部を西から東に流れ利根川に合流する吾妻川を堰止めて、首都圏の水瓶にしようという構想は、水没住民を賛否2派に分断し激しい騒動を招いていた。そして今、計画地は空中高く橋が架かり、ダム湖の広がりが想像できるまでになっている。 . . . 本文を読む
コメント (1)

538 米子(鳥取県)広々と歩道はあれど人みえず

2013-10-26 08:32:10 | 鳥取・島根
米子駅で友人たちに分かれ、私は羽田への最終便までの半日を米子散歩に当てることにした。駅の観光案内所で市内地図を入手し、中心部と思われる方角へ歩き始める。豪雨が去って猛烈な暑さである。木蔭を探すのだがビル街に真昼の陽を遮るものは乏しく、たちまち汗まみれになる。どこかおかしいと気が付いたのはしばらく歩いてからだ。人通りが無いのだ。道路は整備されているのに通る人がいない。いくら暑いといっても異様だ。 . . . 本文を読む
コメント

537 境港(鳥取県)妖怪とポーズをとって緊張す

2013-10-25 15:36:39 | 鳥取・島根
島根半島とは奇妙な形だと、かねがね思っていた。「半島」とは名ばかりで海に突き出すこともなく、長々と陸地を塞ぐカサブタのような形をしているからだ。古代人は地図を持たなかったけれど、空から大地を俯瞰した姿を想像する能力を備えていたのだろう。だからこの半島の形から「他所から土地を引き寄せて出雲の国を広げた」とする雄大な《国引き神話》を創作したに違いない。私たちはその引き綱の跡、弓ケ浜を北上している。 . . . 本文を読む
コメント

536 大山(鳥取県)悠然と聳える君は何者ぞ

2013-10-25 08:44:50 | 鳥取・島根
「彼は自分の精神も肉体も、今、此大きな自然の中に溶込んで行くのを感じた。その自然といふのは芥子粒程に小さい彼を無限の大きさで包んでゐる気体のやうな眼に感ぜられないものであるが、その中に溶けて行く、――それに還元される感じが言葉に表現できない程の快さであった」。これは『暗夜行路』の主人公が大山(だいせん)山中で力尽き、草叢で野宿する場面である。作者の気分には遠いものの、私たちも大山寺宿坊に泊まった。 . . . 本文を読む
コメント

535 倉吉(鳥取県)因幡から伯耆の国へゆるゆると

2013-10-24 17:51:56 | 鳥取・島根
鳥取に行く機会があったら、倉吉に立ち寄ってみたいと考えていた。その名からだろうか、しっとりとした佇まいの家並が続いている街に違いないと思い込んでいたかららしい。鳥取駅前のホテルを出ると、友人は車を西に向け、湖山池―白兎海岸―東郷池―倉吉と案内してくれた。鳥取市の千代川を渡ると田園の広がりが増し、海と湖水と稲穂が連続し始めた。道は国道9号線で、見え隠れしながら山陰本線が絡まるように並走している。 . . . 本文を読む
コメント

534 鳥取(鳥取県)地味だっていいのよ私女子高生

2013-10-23 15:08:26 | 鳥取・島根
真夏の昼下がり、制服姿の女子高生が写真を撮り合って笑い転げている。鳥取市のランドマーク・久松山の麓に建つ明治の洋館・仁風閣の前庭である。私はその2階から彼女たちを眺めている。私にとってこの街は「最後に残った県庁所在地」で、これで私は47都道府県の中心都市をすべて訪ねたことになる。だがそんなことで感慨に耽るのは年寄りの証明で、これから恋をし結婚し、母親となる少女たちにとって、人生は永遠なのである。 . . . 本文を読む
コメント

533 魚沼(新潟県)残雪に名工の鑿軽やかに

2013-10-06 13:31:29 | 新潟・長野
《越後のミケランジェロ》の噂を聞いたのは、いつのことだったろう。その作品は雪深い里の、古い寺にあるということだった。友人のおかげで、代表作が残る魚沼市の永林寺と西福寺を訪ねることができた。誰が言い出したものか、ミケランジェロとはいささか喩えが大げさではあるが、《越後の甚五郎》くらいは言って構わないであろう見事な手跡が堪能できた。それは江戸から越後に移り、幕末を生きた石川雲蝶のことである。 . . . 本文を読む
コメント

532 山古志(新潟県)山に生き山を穿ちて山に生く

2013-10-05 11:04:30 | 新潟・長野
栃尾から山に分け入り、山古志村に入った。現在の長岡市山古志地区である。新緑が濃さを増し、山が夏の装いになりかける時節なのだが、峠のあたりから、緑が剥ぎ取られ土砂が剥き出しになっている山肌が目立つようになった。2004年の中越地震の爪痕であろう。9年を経てなお、傷跡は生々しい。それでも山は、いつかは再び緑一色になるのだろうが、そのころには人々の暮らしも、かつての穏やかな日々に戻っているだろうか。 . . . 本文を読む
コメント

531 栃尾(新潟県)何とまあ風情の良さは栃尾なり

2013-10-03 14:53:57 | 新潟・長野
私は新潟が故郷だから、県内に栃尾という街があることはもちろん知っていた。中越と呼ばれる地域の内陸部で、織物が盛んな土地だという記憶がある。しかし新潟市からは遠く、ついぞ行ったことのない街だった。佐渡からの帰り、友人に車で案内してもらった。私が子供のころは栃尾市といったが、いまは長岡市に編入されている。旧市街地は寂れが目立つものの、何といったらいいか、不思議な心地よさを覚える街の風情であった。 . . . 本文を読む
コメント

530 宿根木(新潟県)北前の船の記憶に肩寄せて

2013-10-02 20:51:38 | 新潟・長野
小木の街から西へ小さな峠を越えると、宿根木(しゅくねぎ)集落に出る。小さな入り江と、そこに注ぐささやかな流れの谷が形成する狭隘な土地に、国が保存地区に指定する重要伝統的建造物群が軒を重ねている。江戸時代後期から明治にかけて、北前船の寄港地として大いに繁盛した土地だという。その集落の姿が、奇跡の如く残っている。小佐渡の南端にあって、能登半島先端の金剛崎と向き合う位置になる。その家並を歩いた。 . . . 本文を読む
コメント