京都の春を満喫しながら、観光客のなんと多いことかと驚かされる旅だった。京都は確かに、魅力をたくさん有している街だ。だから日本にやってくる海外の観光客には、ぜひ訪れて欲しい街ではある。ただ受け入れる側にとって、これだけの遺産を維持して行くには並々ならぬ努力が必要なのだ、ということも認識させられた。これからも「日本には京都がある」と、無二の街であることを誇るなら、市民と行政は覚悟が必要である。
例えば四条河原町の交差点界隈。洛中一の繁華街である。8年前に祇園祭の最中に来合わせて、あまりに歩きにくい狭い歩道にあきれたことがあった。しかも路辺には二重駐車の車が埋まり、古都の風情など感じている余裕はなかった。その歩道が車道側に拡幅されて、倍くらいに広くなっている。これなら市民も観光客もストレスがない。その分車道は狭くなったのだろうが、路傍の駐車はすっかり姿を消して、街はすっきりしている。
突貫工事だったのだろうか、歩道の真ん中に地中ケーブルの地上設備が取り残されて、「今後、端に移設します」と電力会社のお断りが貼ってある。世界遺産都市・京都は、遺産と市民生活が混然としていることが特色なのだろうから、この慌ただしい市街地整備も致し方なかろう。タク
シー運転手は、おかげで渋滞がひどくなったと不満をこぼすが、渋滞には新たな交通対策を考えるべきで、歩道も車道もずっと良くなったことは明らかだ。
京都は古い街だけれど、古いだけではない。賛否の激しかった京都タワーを建ててしまい、今や街の風景に取り込んでいる。駅舎の斬新さも日本一かもしれない。そして個性的な特色を持つ企業が次々と出現する街だ。京セラ、任天堂、日本電産、村田製作所、ワコール、堀場製作所、ローム、島津製作所など、挙げて行ったら切りがない。新しい潮流を恐れない、むしろ「チャレンジしてみよう」という気風が強い土地柄なのではないか。
旅の終わりに京都国立近代美術館に行く。山田正亮展が開催中なのだ。タクシー運転手は「向かいの市美術館にはよく案内しますが、こちらはあんまり」と言う。それはそうだろう、京都市美術館は京都画壇の重鎮・竹内栖鳳展であり、山田正亮(まさあき1929-2010)は「描くことを自らの人生と一体化させ、美術の潮流から距離をとり、孤独の中で生涯描き続けた画家」と紹介される「現代絵画の遅れてきた寵児」なのだから。
ただ線だけが、縞模様となってカンバスに塗られている。線の色、太さは異なるけれど、そんな絵?が延々と並んでいる。入館者が少なくて当然だと思われるが、フランス人旅行グループが熱心に鑑賞している。日本より海外で注目されている画家なのかもしれない。最初は面食らったが、しだいに色と線のリズムに「何か」が感じられてきて、絵画とは何かを考えさせられる。こじつければ「京とはいったい何か」のようなものである。
「天皇が退位されたら、隠居所は京都がいいね」と思いつき、夫婦で盛り上がった。天皇は東京に、上皇は京都におわすとなれば、一極集中の日本はもっと立体的になるのではないかと、我ながらこのアイディアに感心したものだが、天皇が退位の意向を示されて以来、京都ではすでにそうした期待が大いに議論されているのだという。どうやら今回も「天皇のお戻り」は叶わないようで、京都人の意地はまだ続くことになる。(2017.3.30)
例えば四条河原町の交差点界隈。洛中一の繁華街である。8年前に祇園祭の最中に来合わせて、あまりに歩きにくい狭い歩道にあきれたことがあった。しかも路辺には二重駐車の車が埋まり、古都の風情など感じている余裕はなかった。その歩道が車道側に拡幅されて、倍くらいに広くなっている。これなら市民も観光客もストレスがない。その分車道は狭くなったのだろうが、路傍の駐車はすっかり姿を消して、街はすっきりしている。
突貫工事だったのだろうか、歩道の真ん中に地中ケーブルの地上設備が取り残されて、「今後、端に移設します」と電力会社のお断りが貼ってある。世界遺産都市・京都は、遺産と市民生活が混然としていることが特色なのだろうから、この慌ただしい市街地整備も致し方なかろう。タク
シー運転手は、おかげで渋滞がひどくなったと不満をこぼすが、渋滞には新たな交通対策を考えるべきで、歩道も車道もずっと良くなったことは明らかだ。
京都は古い街だけれど、古いだけではない。賛否の激しかった京都タワーを建ててしまい、今や街の風景に取り込んでいる。駅舎の斬新さも日本一かもしれない。そして個性的な特色を持つ企業が次々と出現する街だ。京セラ、任天堂、日本電産、村田製作所、ワコール、堀場製作所、ローム、島津製作所など、挙げて行ったら切りがない。新しい潮流を恐れない、むしろ「チャレンジしてみよう」という気風が強い土地柄なのではないか。
旅の終わりに京都国立近代美術館に行く。山田正亮展が開催中なのだ。タクシー運転手は「向かいの市美術館にはよく案内しますが、こちらはあんまり」と言う。それはそうだろう、京都市美術館は京都画壇の重鎮・竹内栖鳳展であり、山田正亮(まさあき1929-2010)は「描くことを自らの人生と一体化させ、美術の潮流から距離をとり、孤独の中で生涯描き続けた画家」と紹介される「現代絵画の遅れてきた寵児」なのだから。
ただ線だけが、縞模様となってカンバスに塗られている。線の色、太さは異なるけれど、そんな絵?が延々と並んでいる。入館者が少なくて当然だと思われるが、フランス人旅行グループが熱心に鑑賞している。日本より海外で注目されている画家なのかもしれない。最初は面食らったが、しだいに色と線のリズムに「何か」が感じられてきて、絵画とは何かを考えさせられる。こじつければ「京とはいったい何か」のようなものである。
「天皇が退位されたら、隠居所は京都がいいね」と思いつき、夫婦で盛り上がった。天皇は東京に、上皇は京都におわすとなれば、一極集中の日本はもっと立体的になるのではないかと、我ながらこのアイディアに感心したものだが、天皇が退位の意向を示されて以来、京都ではすでにそうした期待が大いに議論されているのだという。どうやら今回も「天皇のお戻り」は叶わないようで、京都人の意地はまだ続くことになる。(2017.3.30)
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