外気が温まり、芳しさを伴うようになると、「梅が観たい」という気分になる。これは花好き・旅好きにとってはほとんど条件反射のようなもので、東京暮らしの花好きは「では熱海か水戸か」と迷うことになる。そしてわが家は「ここはやはり水戸の偕楽園でしょう」ということになって、東京駅八重洲口を出発する高速バスに乗る。「やはり水戸」の決め手の中には、もちろんアンコウ鍋がイメージされている。
これは「昨年の今日は . . . 本文を読む
那覇での所用を終え、半日ほど時間が空いた。地図を睨んでいると「知念」という地名が目に入った。バスに飛び乗り1時間ほど揺られると、世界遺産・斎場御嶽(せいふぁうたき)に着いた。沖縄本島南部の東端に突き出した、半島のようなところにある知念村(現・南城市)の、太平洋を見晴らす丘の森の中である。私ははからずも、琉球王国の聖地に踏み入ることとなったのである。
「斎場=せいふぁ」とは特別に霊威の高い場所の . . . 本文を読む
原色の花々が咲き乱れる沖縄本島に3日間滞在し、二つの経済指標と一度の轟音を耳にした。経済指標は沖縄の観光収入と失業率についてであり、轟音はハワイから飛来したステルス戦闘機F22の編隊であった。2月だというのに23度と汗ばむ陽気の常夏の楽園は、日差しが強いだけ影も濃いのであろうか。
2月は観光・沖縄としてはシーズン・オフである。それでも羽田からの便はすべてジャンボ機であり、那覇の国際通りは週末ら . . . 本文を読む
清水港といえば「むかし次郎長、いまエスパルス」であろうか。伊豆の土肥港から65分、駿河湾フェリーが全国7位の貿易港である清水港に着岸すると、富士山は夕日を受けて赤く染まっていた(写真・上)。かつては雑然としていた桟橋が、すっかり再開発されて賑わっている。複合型テーマパークなのだそうで、オレンジ色のビルは「S-PULSE DREAM PLAZA」と名付けられていた。
伊豆の小さな街を歩いて来た者 . . . 本文を読む
初めての土地なのに、何かが心に染みて懐かしく、すっかりくつろいでいる自分に気がつく街がある。伊豆松崎も、私の経験の中ではそうした街のひとつである。だから再度行きたくなって、これまでに2度立ち寄っている。そしてそのつど、そうした感覚に浸ったものだった。3度目、初めての経験をして印象が少し変わった。海からの烈風に、吹き飛ばされそうになったのである。
西伊豆を沼津から南下すると、戸田(へた)、土肥、 . . . 本文を読む
誰が考えたものか、「半島」という表現は「半分は島」であるその形状を端的に言い表して秀逸である。その意味で伊豆半島は、最も「半島らしい半島」といえるのではないか。熱海と沼津のラインでわずかに陸と繋がるものの、かつて(といっても大昔)はホンモノの島であり、それがプレートの移動によって本州島にくっついた、というのだから。
ということは、伊豆半島はハワイと兄弟のようなもので、下田のランドマーク「寝姿山 . . . 本文を読む
越中島、門前仲町、深川……などと呟けば、気分はそのまま江戸の空へと飛んで行く。だから「この橋の向こうから、市中見廻りの長谷川平蔵が姿を現すに違いない」と身構えたのだが、なぜか鬼平は見当たらず、私は黒船橋を無事、渡り切ったのだった。
都心をわずかに離れ、隅田川を東へ、江東の地に分け入ったがために見た幻であろうか。そんな街の一角にある「越中島」という土地の名は、かつて隅田川が江戸湾に注ぐ河口に屋敷 . . . 本文を読む
新潟市は私のふるさとである。高校卒業までこの街で暮らした。その卒業の年、街は大きな地震に襲われ、中心商店街が甚大な被害を受けた。それを契機に、街は変貌したのだろうが、例えば「古町十字路」界隈(写真・中)を歩いてみると、幼い日々に走り回っていたころの光景がよみがえって来る。商店の看板は掛け変わっても、大きなビルや入り組んだ路地が造る街の構造は、40年余を経てもさほど変わっていないのである。
しか . . . 本文を読む