今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

768 八瀬(京都府)1日も回峰できず痩せ童子

2017-04-17 16:47:38 | 滋賀・京都
高低差は日本一だというケーブルカーで、延暦寺を覗き見に行く。根本中堂を拝観しただけで帰って来たのだから覗き見程度である。私たちは京都盆地北東隅の八瀬にホテルをとった。市中観光にはいささか不便だが、電車も通じているしケーブルカーで比叡山にも登れる。何よりも「八瀬童子の里」であることが興味深い。北東といえば艮(うしとら)、都の鬼門である。古都の毒気に当たったか、私も陰陽師の術中にはまったようである。



平安京は艮の方角に聳える比叡山に延暦寺を置き、鬼門を塞いだ。八瀬はその西の麓、高野川の流れに沿って延びる山里である。里人は古くから延暦寺の寺役に携わり、南北朝動乱では後醍醐天皇の逃避行を扶けて宮中とも独特の関わりを持った。私の勝手な想像では、山の杣地で寡黙な暮らしを続ける童子姿の異形集団が、一朝、内裏に事ある時は、何はともあれ駆けつけて雑務をこなすーーといったところだが、当たっているのかどうか。



もちろん現在の八瀬は杣地などではなく、洛中から続く静かな住宅街である。街を貫く高野川では、朝のしじまに隠れて白鷺が小魚を狙っている。京の家並はここまでで、北上する国道367号線はいったん山に分け入り、大原の里に抜ける。私はかつて朽木を訪ね、そこから大原に出てバスを乗り継ぎ、京都駅に辿り着いたことがある。道は大変な山中だった。ようやく里らしくなったあたりで八瀬という停留所を通過したことを覚えている。



今回はそこに宿泊して、ケーブルカーとロープウエーを乗り継ぎ、比叡山の山頂(848m)から琵琶湖を望んでいる。大津の街が霞んでいる。延暦寺は高校の修学旅行以来だが、記憶の中と何も変わっていないようだ。50年余を経て何も変わらないというのは大したものだと感心するが、延暦寺1200年の歴史を思えば一瞬のことであろう。根本中堂は工事の足場で覆われていた。門の屋根を葺き替える、10年がかりの工事なのだという。



私は信仰心を持たないが、宗教を取り巻く人間の心情には昔から興味がある。なかでも山岳宗教のような、神秘的な世界には強く惹き付けられる。だから延暦寺に伝わる千日回峰行は興味津々である。独特の藁傘をかぶり、一日も休まず山を駆け廻ったうえに命を危険に曝して断食を続ける。理屈などないのであろう、肉体を酷使した果てに仏に出逢うのだという。それは幻覚ではないか?   理不尽きわまりない修行に、私はなぜ惹かれるのか。

(ロープウエー山頂駅の写真パネルから)

多分、自分の生き方の対極にある、理解不能な修行に挑む人間への興味なのだろう。阿闍梨になりたいとか、衆生に敬われたいなど欲があっては続かない。「無」になるため、ひたすら駆け廻っているのに違いない。煩悩のおもむくままに生きて来た私にはとうていできないことだと分かるからこそ、惹かれる。バスセンターで一人、叡山1日フリーパスを買う若者がいた。どこか思い詰めた、昔の私を彷彿とさせる真面目そうな青年だった。



八瀬比叡山口駅の駅前売店に、絣のもんぺを履いたマネキンが座っている。足元に「年齢80歳以上、座っているだけ、時給1000円以上、昼寝付き」のアルバイト募集の札。大原女だったお婆さんがそこに座って、観光客に人気だったというが、とうとう亡くなられたのだとか。大原から洛中に出て、花束を頭に載せて売り歩くのにいったいどのくらいの歩数を費やしたのだろう。大原女こそ、まさに千日回峰行ではないか。(2017.3.30)














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