発見に至るいくつもの偶然や、頭骸骨のその後の数奇な運命を、ドキドキして読みあさった《北京原人》である。忘れかけていたそうした若い日のトキメキが、発掘現場に立って甦って来るようだった。ここは北京郊外・周口店の洞窟跡である。世紀の大発見の地は、さほど特色のない、乾いた集落の奥の小さな丘にあった。私は「本当に周口店に来た!」という感慨が先に立って、思わず天上を見上げた。ぽっかりと青空がのぞいていた。 . . . 本文を読む
北京西郊の盧溝橋を再訪する。橋のたもとの茶店の前で、4本の中国ポプラが枝を広げていた。その大きな枝振りからして、8年前の訪問時も樹叢は豊かだったのだろうが、記憶はない。今回、見上げることになったのは、先端近くの梢にカササギが巣を懸けていて、黒と白の姿が美しいこの鳥が、盛んに飛来していたからだ。伝説では鵲は、七夕での架け橋役を果たすという。だが75年前の盧溝橋の七夕は、日中史の喪章の日になった。 . . . 本文を読む
8年ぶりの北京は全国人民代表者会議が開催中で、人民大会堂には五星紅旗が勢いよくはためいていた。天安門広場は立ち入りが禁じられ、屈強の制服警官が威圧的に歩き回るなど、8年前の自由な雰囲気とは対照的な警戒ぶりだった。それでも地方からやってきた様子の民族衣装の一団は、うれしさに顔がはち切れんばかりで天安門前の行列に並んでいる。念願の北京見物が実現できたという笑顔は、中国の経済発展をよく物語っていた。 . . . 本文を読む
8年ぶりに北京を歩いた。8年前の2004年の中国といえばGDPは日本の半分以下で、まだ発展途上の色合いが濃い国であった。だが独特の社会主義市場経済はこの年、私有財産を認める憲法改定にまで至り、経済成長は一気に弾みがついた。その勢いは2008年の北京オリンピックを終えても衰えず、いまでは日本を抜いて世界第2の経済大国である。それほどの急成長は、街や人々の表情をどれほど変化させるものか、興味があった。 . . . 本文を読む