岬の突端に建つ宿だというのに、潮騒も風の音も響いて来ない。余りの静けさに窓を開けてみると、凪いだ海面を月光が照らしていた。冬至の夜の月はほぼ満月で、漆黒の空の暗さを際立たせている。対岸の岬には小さな集落と港があるようで、赤い灯火が海面に反射している。玄界灘とは荒々しい海に違いないと思い込んでいたのだが、実際は冬の夜がただ静かに過ぎて行くだけだった。ここは佐賀県唐津市の呼子(よぶこ)である。 . . . 本文を読む
壮大な愚行の跡が、冬至の残照を浴びて静まり返っている。佐賀県唐津市鎮西町名護屋。深い入り江に守られた名護屋城跡である。日が落ちんとしている海は玄界灘で、壱岐、対馬と島を伝えばほどなく朝鮮半島に達する東松浦半島の岬の高台の、礎石だけが残る天守台に私たちはいる。破却され、放棄されてなお残った石垣を巡り、ここまで登って来た。権力とは、かくも馬鹿馬鹿しいエネルギーを産み出すものなのかと虚しさを憶えながら。 . . . 本文を読む
この地方では珍しいことではないのかもしれないが、波佐見町は集落を「郷」と呼び、それが正式な地名になっている。宿郷、金山郷、皿山郷など、いい響きである。東西に延びる主要路をはずれ、町の東南端に向かう道を登って行くと《陶郷・中尾山》と書かれたアーチ状のゲートが現れ、家並が密集し始めた。波佐見焼の窯元が集中する中尾郷に着いたのだ。私をここまで誘うきっかけを作った湯飲みの工房も、ここにあるはずだ。
三 . . . 本文を読む
東日本の人間である私は、茶碗や皿など日用の焼き物はすべて《セトモノ》と総称する習慣の中で育った。概ねそれらはツルンとした肌の磁器が多かったのだろうが、土の感触の色濃い陶器が混じっていたとしても厳密に区別されることなく、すべてセトモノであった。それほど東日本では、瀬戸地方で焼かれた生活雑器が家中を占領していたのである。だから《ハサミ》という西日本の大産地を知るのは、還暦を過ぎることになったのだろう . . . 本文を読む
私は呆然としている。あったはずの丘陵が深々とえぐられ、白茶けた胎内を剥き出しにされた山の残骸が寒風に晒されているのだ。だが呆然となったのは、その見慣れぬ光景もさることながら、山が消えるほど膨大な量の土が採られ、磁器となって国内外に運ばれて行った、そうした人間の営みの凄まじさを見せつけられたことによる。ここは佐賀県有田町の街はずれ、400年前に朝鮮人陶工・李参平が発見したとされる泉山磁石場である。 . . . 本文を読む
IMARIはある時期、日本の街の名としては世界に最も流布した土地ではないだろうか。17世紀以降、有田で焼かれた陶磁器は、伊万里の津から長崎・出島を経てヨーロッパに運ばれ、Imari wareとして彼の地の富者たちを魅了した。それらは今も特別な敬意を込めて「古伊万里」と呼ばれる。私は今日、その伊万里にいる。師走の街は閑散として、かつての燦然とした街の記憶は、橋の欄干で酔っぱらう阿蘭陀人の姿に偲ぶし . . . 本文を読む
かつての肥前国は、現在の佐賀・長崎両県のほぼ全域にあたる入り組んだ地形を持ち、まとまった平地といえば有明海に臨む佐賀平野がわずかに広がる程度の、山々の重なる土地柄である。そこは九州本島部から西に突き出した半島のようなもので、幕藩下では鍋島、唐津、平戸、大村などの各藩によって分割統治されていた。日本の磁器生産は、そうした山あいから始まった。とまあ、こんな貧弱な知識を頼りに陶芸三昧の旅を始めた。
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木漏れ日が松の長い影を下草に延ばしている。今日は冬至だというから、影は1年で最も長いのだろう。思い思いに延びた影と太い幹が、軽やかなリズムを刻む原を来るのは、これから《陶芸の道》を旅する私のパートナーである。焼物をはじめ、未知の土地に好奇心を寄せる彼女は運転を担当してくれる。黄花を咲かす足下の石蕗に気を配りながら「さあ、出発しましょうか」と言った。湿り気を含んだ《虹の松原》は芳しく、立ち去り難か . . . 本文を読む
8月だというのに、北部九州はまだ梅雨明けしていない。それでも唐津港を発ったフェリーは薄日を浴びて、心地よい潮風を切って玄界灘を北上して行く。その風が「冷えてきた」と感じた時、壱岐の島がすぐそこに近づいていた。平坦な島の、上空だけが黒い雲に覆われている。あいにくの空模様で、海を渡る風が島を通過しながら冷やされているのだろう。魏志の編纂者に倭人のクニグニについて語った旅人も、この風を感じていただろう . . . 本文を読む
唐津は二度目だが、宿泊するのは初めてである。ゆっくり滞在して再認識したことは、「唐津はいい街だ」という、実に割り切りのいい感想である。私にとっては余りに遠い街で、土地の気風や住民の気質、細かい行政サービスの善し悪しについてまで判断できるはずがないけれど、例えば「リタイア後の人生をのんびり送りたい」という向きにとって、これほど条件が適っている街は珍しいのではないか。自然災害もほとんどないのだという . . . 本文を読む
伴侶殿が「長崎に行きたい」と宜給えば、何はさて置き案内せねばならない。さっそく「北西九州3泊4日の旅」を企画した。メインは長崎市内観光である。ここで2泊し、主なスポットを見て歩こうというわけだが、私も1年前に1度訪問しただけの知識しかない。「御案内する」などと殊勝な顔をしていたものの、前回行き漏らしたエリアを歩いてみたいとの下心ミエミエである。長崎は小さな街だが、奥が深いのである。
路面電車に . . . 本文を読む
熊本に向かうフェリーのデッキに座り、遠ざかる島原の街を見ていた。眉山に隠れていた雲仙普賢岳が、やがて刺々しい山容を見せ始め、天空の雲があの火砕流を連想させる。厳しい自然と向き合う街であるのだろうに、島原で私たちは「生き残っている日本の美風」に触れることができた。「優しさ」という人情のことである。そこは穏やかな航跡を残す有明海のように、静かで飾り気のない、旅人に優しい街であった。
長崎から熊本に . . . 本文を読む
佐賀県唐津市は九州北部、玄界灘に面し、糸島半島と東松浦半島に囲まれた唐津湾に臨む城下町である――と書けば、それだけで古代から近世がパノラマとなって浮かんでくる。そんな唐津という街の存在感はただごとではない。そのうえ「1井戸2楽3唐津」なのだから、歴史・焼き物好きに素通りはできない。佐賀からJR唐津線で1時間10分ほど、長閑な平野が緩やかな山地となり、やがて海が見えて来た。
街並みにさびれをにじ . . . 本文を読む
佐賀に行くなら吉野ヶ里に立ち寄らねばならない、と決めていた。「日本古代史研究家」を自称する私は、一時期、考古学にのめりこみ、遺跡・遺構・遺物の解析に心ときめかせていたのである。だから吉野ヶ里の発見は衝撃であり、九州出張の時間を割いて駆けつけたものだった。あれから15年、弥生時代の巨大遺跡はどうなったか、ぜひ確認しておきたかった。
佐賀駅から通勤の客に混じってJR長崎本線各駅停車に乗り、3つ目の . . . 本文を読む
柳川での所用が済むと、予備日としていた時間が丸々1日、空くことになった。さて、どこに行こうか。地図を見るとすぐ隣に佐賀があるし、熊本だって博多に戻るより近そうだ。県庁のある街は地方の中心都市ということになるが、私はこのふたつの街とも行ったことがない。絶好の機会を得て贅沢な迷いに悩んだ挙句、佐賀に行くことに決めた。こんな折りでもないと、行きそびれてしまいそうだからである。
柳川から佐賀へ、1時間 . . . 本文を読む