遠い昔、鄙びた漁村が点在していた入り江で、「こここそアマテラスの地」と時の天皇が霊感を受けたために、この土地の運命は驚天動地の変化をきたした。おかげで神道とか神明信仰ということはさておき、古代以来の伝承をかたくなに守る拠点としての伊勢神宮は、日本人の心の奥を見詰める場として貴重な存在になった。もし「地名の重み」を計量化する方程式が編み出されたら、「伊勢」は国内最重量級であろう。
伊勢神宮は天照 . . . 本文を読む
上越新幹線は上州から越後へと進んでもなお、長いトンネルが続く。しかし長岡駅を過ぎるころになると視界はようやく開放され、後はひたすら平坦部を疾走することになる。蒲原平野に入ったのだ。車窓左手に弥彦連山が姿を現し、終着駅のビル街に隠されるまで旅の友となる。弥彦の空が厚く重なり合った暗雲で覆われていたら、運のいい旅人である。耳元でアルビノーニの”アダージョ”が響き始めるからだ。蒲原は、荘重かつ甘美なバ . . . 本文を読む
三重の「津」という市名は、どうにも座り心地が悪い。「Tsu」で終わってしまう響きは素っ気がなさ過ぎて、話の接ぎ穂が見当たらないような気分になってしまうのだ。土地の人は「日本で一番短い地名だ」などと言って結構気に入っているようだから、余所者がつべこべ口を挟むことではない。しかし「津」とは「湊」のことであろう、天下の一般名詞を、そのまま自分たちの固有名詞にするなど、横着なのか工夫が足りないのか。
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このところ続く雨のせいか、奈良の五條を思い出している。あの街を再訪した日、台風の接近に伴う驟雨に終日、降り込められたのだ。それでも私は、濡れ鼠になって栄山寺まで歩いた。いつかはその八角円堂の前に立ちたいと願っていた寺である。濃い緑が煙っているような雨の中、私だけの八角堂は、それはそれは美しい建物だった。いくら濡れようとも、それは念願かなった興奮が鎮まるようでかえって有り難かった。
栄山寺は「養 . . . 本文を読む
中央本線を西へ、小海線の起点である小淵沢駅をあとにすると、山梨県を通過して長野県に入ることになる。そこが富士見町で、諏訪郡の東南端にあたる。これまでは「特急あずさ号」で何の感慨もなく通り過ぎていたであろうこの街に、所用ができて立ち寄ることになった。もちろん初めての土地であるし、こんな名の町があることも知らなかった。しかしどのような土地も、歩いて初めて知ることのできる良さがある。
この地域は、北 . . . 本文を読む
7月に列島に上陸した台風としては、史上最強の勢力だという台風4号が、各地で大暴れしながら近づいてくる週末を、私は信州松本でずぶ濡れになっていた。何も雨の中を・・・と躊躇する気持ちも浮かんだのだけれど、これまで2度訪れて、その都度「城に案内され、そばを食べて終わり」という訪問だったため、街の印象がつかめないでいたのだ。だからたとえ台風が来ようと、この機を逃すまいと街中を歩き回ったのである。傘を差し . . . 本文を読む
思い立ち尾花手折りて墓詣で稲村ヶ崎に陽落ちんとす――。中の写真は江ノ島である。稲村ヶ崎から眺めている。それはちょうど、逗子開成高校ボート部遭難慰霊像(写真・下)が望んでいる方向である。右手にはうっすらと富士山の姿がある。昨年の秋晴れの日、墓参の帰りに立ち寄った浜は、シャツ1枚でも汗がにじんでくるような陽気に多くの人が散策を楽しんでいた。私たちもそうやって、鎌倉の郊外をのんびり歩いたのだった。
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愛知県半田市は、知多半島の付け根にあって三河湾の最奥部に位置する。地質学的に難しく言うと「伊勢湾と岡崎平野に挟まれた弱い隆起帯である知多半島の、北・中部にあたる」ということになるのか。いずれにせよ私には縁もゆかりもない土地であって、しばしば食卓に登場する「ポン酢」を眺めるたびにチラリと意識に上る、といった程度の街なのである。そんな街になぜ私は「いる」のか。ラーメンを食べに来たのである。
新幹線 . . . 本文を読む
北陸の、私が生まれ育った地方だけの言い回しだったのかもしれないが、茶碗や花器など焼き物は総じて「せともの」と呼び、それらを売る店は「せともの屋さん」で通っていた。だから私は、焼き物には陶器と磁器があり、唐津、伊万里、信楽、九谷など産地により呼び名が異なることは、いくらか成長するまで知らなかった。「瀬戸」は、それらを括ってしまうほどの大産地だったということなのだろう。その瀬戸を訪ねた。
名古屋か . . . 本文を読む
四谷は路地と墓地の街である。いまさらながら四谷の大通りから路地に入り込む機会があって、改めて認識したのである。お堀端のビジネス街で半生を生きてきたサラリーマンに、四谷はごく身近な街であるけれど、しかしそれは、幾度となく行き交った通過地であったり、たまに荒木町の居酒屋で安酒を酌み交わすうちに感じていた身近さに過ぎなかったのかもしれない。四谷の総鎮守だという須賀神社界隈を歩くと、一昔前の東京の暮らし . . . 本文を読む