およそ「聖」を冠される人物は、各分野において史上最も傑出した技量を持ち、その芸術世界で圧倒的な影響を及ぼし尊敬される存在だと認められていることになるだろう。歌聖・柿本人麻呂、画聖・雪舟、俳聖・芭蕉といった名前が思い浮かぶ。では陶芸はどうか。名前が判れば縄文の火焔型土器製作者に冠してもいいだろうけれど、「陶聖」と呼ばれる陶芸家は未だいない。最も近い存在は板谷波山(1872-1963)ではないだろうか。
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水戸の絵柄はやはり「梅」ということになる。だからこの季節、脚は自ずと偕楽園へと向かうのだが、梅まつりが始まったと聞いて2週間になるのに、花盛りにはまだ間があるようだ。それでも早咲きの数株が見事に咲き誇るあたりでは、芳香に絡め取られて陶然となる観梅日和である。19年前に妻と二人、水戸に赴任中の旧友に鮟鱇鍋をご馳走になって以来の偕楽園だ。本日は独行なので、閑散とした庭園が似合っている。ゆっくりと古木を縫う。 . . . 本文を読む
150メートルの高みから、東京・千葉の都県境を流れる江戸川を眺めている。眼下の街は市川市だ。JR総武線の市川駅南口に建つ45階建てビルの展望デッキで、私は北を向いている。鉄橋を渡る電車がおもちゃのようだ。南は新旧の江戸川が挟む行徳の先に東京湾が広がり、西のスカイツリーと富士山が、東京のビルの小ささを際立たせている。見渡す限りを埋め尽くす人の営みが、唸りを上げている。自分が生きる時代の貪欲さに疲れを覚える。 . . . 本文を読む
国府台を「こうのだい」と読めなかった私は、やはり「総の国」では他所者である。そのことを十分に意識しながら、市川市北部の堀之内・国府台界隈を歩く。そこで少女と出会った。市の歴史博物館脇の広場で石のベンチに座り、少女は「縄文の鉢」をじっと見つめていた。私が感嘆の余り「美しい土器ですね」と声を掛けると、彼女は「ええ、ホントに」と小さな声で応えた(ような気がした)。背後の雑木林から続く丘は、国指定史跡の堀之内貝塚である。 . . . 本文を読む
布良から再びバスで館山駅に戻って来ると、晩秋の陽は早くも傾きかけている。昼ころの駅前広場は静かだったのに、大音量の曲が響いて何やら騒々しい。東口を見回すと、歩道の広い部分に人だかりがして、生演奏を囲んでいるようだ。聴衆は50人ほどだろうか、今日の布良までの往復で見かけた人の数より多いだろう。バスから寂れた商店街を眺め続けて、いささか鼻白んでいた私は嬉しくなる。居並ぶ幟旗には「sPARK DAY」とある。 . . . 本文を読む
青木繁が描いた油彩『海の幸』である。写真はその中央部分なのだが、ガラス戸が反射して写り込んでいる。私の撮影技術の拙さもあるのだけれど、写っているのは1907年、東京美術学校を卒業したばかりの繁が友人らと逗留、この絵を描いた房総「布良」の網元・小谷家の「その部屋」のガラス戸なのだ。だからまんざら意味がないこともない。現在は「青木繁『海の幸』記念館」として公開され、レプリカが飾られている。房総半島最南端の漁村である。 . . . 本文を読む
房総・勝浦は、17年ぶり2度目の訪問になる。退職して1年を経ずに脳梗塞に倒れた私は、退院後初めての遠出として妻に付き添われ、館山・野島崎・勝浦と、小さな旅をしたのだった。勝浦は到着が午後になり、朝市に行けなかったことが心残りだった。今回「布良」への小さな旅を計画し、前回とは逆に勝浦から回るコースを組んだ。早朝まで雨だったそうで、朝市はいつもの日曜日よりは店が少ないらしいけれど、人出はまずまずのようである。
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この広い通りは石岡市のメインストリートで、いまでは中町通りと呼ばれているようだが、かつては水戸徳川家のお殿様が江戸と往還した水戸街道なのである。軒を連ねるのは、有形文化財に登録されている石岡自慢の看板建築商家群だ。レトロな佇まいが風景を優しくしているけれど、惜しいかな人通りがない。秋晴れの昼下がり、歩道を行くのはベビーカーを押す若いママだけだ。ところが町名表示は「国府」とある。ただごとでない響きだ。 . . . 本文を読む
「猿型埴輪」の故地を目指し、常磐線・石岡駅から鉾田行きのバスに乗る。やがて右手に霞ヶ浦が見えてきて、沖洲陸橋の停留所で降りる。石岡市から小美玉市を通過し、行方市に入ったばかりの「沖洲」という土地らしいが、茨城の地理に疎い私は自分がどの辺りにいるのか掴めない。バス停の先に小さな森が見える。「猿」が出土したと伝わる大日塚古墳だろうか。「故地」とはいえ、出土状況は曖昧だ。それでもやって来る私は、もはや病膏肓の域である。 . . . 本文を読む
「これは何だ⁉︎」と仰天させられて、もう半世紀が過ぎてしまった。石室の壁面いっぱいに色が塗られ、不思議な紋様が描かれている。なかでも正面奥の二つの環は、じっとこちらを睨むモノノケの眼のようである。初めて見たのは1973年9月12日の、壁画発見を伝える新聞記事だった。だが新聞では色は判らない。改めてその彩色にも驚き、「これはいつか見に行かなければならない」と決心したのだった。茨城県ひたちなか市の虎塚古墳である。 . . . 本文を読む
「芝山町」の位置が知りたくて、銚子駅と千葉駅・船橋駅をそれぞれ直線で結んでみる。「房総半島の付け根」と言う場合、東端は銚子だろうが、西端がどこになるのか迷ったからだ。すると芝山町は、みごとにその2本のラインの中間位置に収まった。つまり「芝山町は房総半島付け根の真ん中」と言っていいのだろう。北総台地の南端が九十九里平野へと降っていくあたりの半島深部で、北側は成田空港が食い込み、町の中央を「はにわ道」が貫いている。 . . . 本文を読む
千葉駅午前6時30分発の総武本線各駅停車銚子行きは、パラパラと空席が残る程度の混み具合だった。佐倉で隣のボックス席が空になったので移ろうと腰を上げると、前方から小走りにやって来た小柄な女性が、手にした袋をサッと放り投げ、私を押し退けるようにして席を占めた。そして靴を脱ぐや両脚を前の座席にドサッと延ばし、残った席をコートやバッグで塞ぐ。おもむろに汚れた紙の束を取り出し、足元に並べて1枚1枚点検し始めた。 . . . 本文を読む
日本中が快晴だというこの日、銚子市の屏風ヶ浦海岸は穏やかな潮風が吹き抜け、散歩者の気分を心地よく弾ませてくれる。剥き出しの地層が巨大な崖を形成し、10キロも太平洋と対峙して続くという屏風ヶ浦の景観を見に来た私は、崖下の遊歩道をゆっくり進みながら地球の歴史に耳を傾けている。だが聞こえてくるのは微かな潮騒くらいで、たまに名も知らぬ野鳥が飛んで来てチチッと鳴いて去って行く。地球の歴史は大きく余りに遠い。
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この一輪に出会えただけで、今日はここまでやって来た甲斐があったと、いささか大仰な思いになるほど美しい薔薇である。快晴の陽を浴びる黄金の一輪は、程よく開花し切った瞬間にあり、どの花びらにもまだ一片のシミもない。秋バラが見ごろを迎えている「習志野市谷津バラ園」で、私はうっとりと立ち尽くしている。「世界のバラ800種類7500株」の園内は色彩と笑顔が溢れ、余りにうっとりしてしまった私は、品種名を確認し損ねた。 . . . 本文を読む
東京・三鷹駅と千葉駅を結ぶJRの路線がある。車体の黄色いラインが目印の「中央総武線各駅停車」だ。私は三鷹に住んでいるのでよく利用するのだが、この呼称が正式な路線名かどうか、いまだ知らない。また「三鷹発津田沼行き」という電車が多いので、津田沼という駅名は馴染みがある。ところが津田沼は行ったことがないから知らない街だ。よく利用するのに知らないまま乗っているわけで、いつもモヤモヤした気分が残る電車なのである。 . . . 本文を読む