今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

087 上野原(山梨県)・・・上の原握り飯より酒まんじゅう

2007-09-24 21:12:14 | 静岡・山梨
JR中央線は高尾を過ぎると東京を離れ、神奈川県に入る。しかし2駅を経るとすぐに山梨県となる。「上野原」は、その最初の駅である。というわけで、このあたりは何度も通過したことがあるのだけれど、その都度「いったい街はどこにあるのだろう」と気に懸かっていた。というのも上野原駅の北側は崖に塞がれ、南側は川と湖が占めていて、人の暮らしがどこにあるのか、車窓からは見当が付かないからである。 その駅に、初めて . . . 本文を読む
コメント

086 美浜(福井県)・・・お水取りいつの間にやら原子の火

2007-09-23 09:57:58 | 富山・石川・福井
「地名は歴史の表札である」と書いたのは司馬遼太郎氏である。私はかねがね「若狭」は、日本の地名で音の響きの美しさが際立っている一例だと思っているのだが、その「表札」の由来は「日本の古代伝承」「朝鮮の古語」など諸説あって定まらないらしい。それはともかく、若狭には「美浜」「小浜」「三方」など、文字も響きも美しい地名が多い。そんな入り江のひとつで、私は夏の終わりの蒼い海と青い空に染まっていたのである。 . . . 本文を読む
コメント

085 敦賀(福井県)・・・トンネルを抜ければ気比の祭りなり

2007-09-18 19:57:27 | 富山・石川・福井
福井から敦賀に向かう列車に揺られていて気が付いた。トンネルに入ったままその暗闇がなかなか終わらないのだ。「ずいぶん長い!」のも道理、北陸トンネルだった。私が小学校で習った社会科では、日本一のトンネルは清水トンネル(上越線)、2位は丹那トンネル(東海道線)と決まっていたものだが、中学を卒業するころ、北陸線に総延長13870mの北陸トンネルが開通し、国内最長の座を奪ったのである。 このルートは、古 . . . 本文を読む
コメント

084 雨森(滋賀県)・・・湖北にてハングルを読むおもしろさ

2007-09-15 16:28:32 | 滋賀・京都
私はまだ湖北にいる。伊吹山地がなだらかに下ってきて、琵琶湖の手前ですっかり里に溶け込んだあたりである。好天が続いていたはずなのだが、ひと雨さっと通り過ぎたような、何もかもが心地よい湿りを帯びた集落である。小さな門があって「東アジア交流ハウス」とある。はて、鄙には珍しいことよと脇の達筆に目を凝らせば、「雨森芳洲庵」と読める。ああ、ここが・・・。私はその出会いを喜んだのだった。 在所は滋賀県伊香郡 . . . 本文を読む
コメント

083 長浜(滋賀県)・・・湖面には晩夏の光照り返し

2007-09-14 12:41:48 | 滋賀・京都
「湖北」とは、琵琶湖北部のどこからどこまでを指すのか、アヅマエビスの私には確認する術がない。だから関が原を越えて近江に入り、琵琶湖に突き当たる米原あたりから北の地域――であろうかと、とりあえず考えておこうと思う。そしてそのエリアの中心をなす街が長浜なのだと。北国への回廊として幾度もの戦乱の後、秀吉によって経営された城下町だ。縮緬や仏壇など伝統産業が根付き、昨今、町興しに成功している数少ない地方都 . . . 本文を読む
コメント

082 永平寺(福井県)・・・黒々と甍が埋める永平寺

2007-09-13 21:09:51 | 富山・石川・福井
「永平寺にご案内しましょう」と告げられ、私はたじろいだ。永平寺といえば道元禅師であり、道元といえば『正法眼蔵』である。そしてそれはトライしては挫折を繰り返してきた、私には難解過ぎて荷の思い書なのである。もちろん永平寺は、かねてより訪ねてみたい地であった。しかしそれには覚悟というか心構えが必要であろう。そうした準備ができていないままでの思いがけないお誘いに、たじろいだのである。 とはいえそのとき . . . 本文を読む
コメント

081 福井(福井県)・・・城跡を役人どもが占拠して

2007-09-10 14:45:12 | 富山・石川・福井
福井は(私にとって)地味な土地である。私にとって、というのはこれまで縁が薄く、出身の知人も少ないという個人的印象によるものであって、ここを故郷とする人には地味どころか、豊かで誇るべき土地なのであろう。事実、県のパンフレットは「平均寿命は男女とも全国2位、1住宅あたりの住まいの広さ2位、共働き世帯数の割合1位、社長輩出数1位」と、誇らしげである。うーん、しかしやはり地味なんだなあ。 派手な方がい . . . 本文を読む
コメント

080 長崎(長崎県)・・・麗人とオランダ坂の昼下がり

2007-09-09 15:15:04 | 佐賀・長崎
その女性は、白いパラソルをわずかに傾け、坂の角から唐突に現れた。石畳の坂道は夏の陽に焼かれ、あたりは蝉時雨である。ゆっくり登る私と、ゆっくり下って来る彼女がすれ違った。そのとき、女人が微かな会釈を送ってくれたように私には思えた。さりげなく、上品な一瞬だった。特別な合図ではない。かつてこの国ではごく当たり前であった、通り過ぎる者同士の互いの呼吸のような会釈である。そんな忘れかけていたしぐさに、長崎 . . . 本文を読む
コメント

079 長崎(長崎県)・・・日本史の窓は出島のターミナル

2007-09-08 12:38:42 | 佐賀・長崎
長崎駅に降りて、ここが終着駅であること、つまり日本のひとつの「さいはて」に来たことを知った。ただこの「さいはて」は、かつてこの国で世界に最も近かった街であり、日本と世界の経済が接触し、莫大な富が交錯した地でもある。若いエネルギーと知性が、新しい時代を求めて吸い寄せられても来た。ここは一時期、日本の坩堝だったのである。そんなころからずいぶん時を隔てて、私はすっかり暮れた西国の駅頭で市電が来るのを待 . . . 本文を読む
コメント

078 佐世保(長崎県)・・・フェリーには泊り木の街佐世保かな

2007-09-07 21:21:24 | 佐賀・長崎
佐世保から帰って10日ほどになる。記憶を整理していたら、地名の「サセボ」とは何か、が気になり出した。ところが地元でも「よく分からない」が結論で、「サセボ」か「サセホ」かも決着が付いていないのだそうだ。何事にも雑駁な土地柄らしい。そういえばこの旅で知り合った4人組の佐世保シスターズは、大雑把で豪快な元美人たちだった。彼女らはこう言うに違いない。「どうでもいいじゃない、そんなこと」 港町というのは . . . 本文を読む
コメント

077 小値賀(長崎県)・・・国産みの島でわが身も蒼一色

2007-09-06 09:33:30 | 佐賀・長崎
「おぢか」と打ち込んで変換キーを押すと、ちゃんと「小値賀」と表記される。Microsoft Word ですら認識するこの島の名を、私は知らなかった。古事記の国産み神話にも登場する「由緒ある」島であることさえ、行って初めて知った無知な私である。そこは長崎県・五島列島の北から2番目に位置する島で、小値賀町という人口3000人余の暮らしがある。島は、碧い空と蒼い海に抱かれて、青く染まっていた。 羽田 . . . 本文を読む
コメント

076 古橋(滋賀県)・・・里人のみほとけ守る心意気

2007-09-05 19:58:14 | 滋賀・京都
琵琶湖の北岸部、いわゆる「湖北」には観音を祀る寺が多い。そのことを書物で知って、そうした「観音の里」を訪ねたいと願ってきた。同時に「大和」に執着していた私の歴史への関心が、急速に「近江」へと広がりつつあった。折りしも所用の帰り、JR北陸本線の「木之本」という駅で降りる機会を得た。「徒歩ではだいぶかかりますよ」という案内所のアドバイスを無視し、私は街の背後の山地を目指して歩き始めた。 滋賀と岐阜 . . . 本文を読む
コメント