今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

1070 国立(東京都)くにたちの記憶をつなぐポッポみち

2022-11-21 19:57:58 | 東京(都下)
妻のお供で国立(くにたち)に出かける。久しぶりの国立駅に降りると、駅は高架になってすっかり様変わりしている。それほど久しぶりということだ。洋裁が趣味の妻は、生地問屋や洋裁工房が余った布を処分するなどのセール情報をキャッチするのがうまい。それが今日は国立駅から北口徒歩8分ということで、引きこもりがちの私を散歩に引っ張り出したのである。高架下のショッピング街を抜けると、「ポッポみち」の標識が立っている。 . . . 本文を読む
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1069 奈良(奈良県)ご苦労ながら守って欲しい古都の風土

2022-11-20 13:13:08 | 奈良・和歌山
どの街にも、一目でそことわかる景観の地がある。奈良の場合、猿沢池を越えて興福寺の五重塔を望む地点は、その代表格と言えるだろう。「五十二段」と名付けられた石段を興福寺側から降りながら、記憶の風景を思い描いて池畔に立つ。ところがどうしたことか、雰囲気がおかしい。歩道を彩る柳並木はほとんど失せ、石段のある傾斜地の樹木もすっかり伐採されて殺伐としている。「奈良よ、いったいどうしたのだ」と、私は呆然と立ち尽くした。 . . . 本文を読む
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1068 春日大社(奈良県)丸いホホ朱色に染めて宮参り

2022-11-16 14:28:24 | 奈良・和歌山
七五三だろうか、着飾ったお姫様が母と祖母に手を引かれ、神様の祝福を受けに来たところらしい。春日大社の朝である。旅先で大きな社を訪ねると、しばしば出会うお宮参りの光景だ。生後間もなく始まって、二年参りだ初詣だと、老いてなお宮に参る日本人の風習は、信仰から来る行動か、あるいは記憶の彼方のご先祖以来の、暮らしの習俗を踏襲しているだけなのか。無宗教が多いと驚かれる日本人だが、実はとんでもなく信心深いのかもしれない。 . . . 本文を読む
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1067 会津若松(福島県)赤ベコの街に紅葉が彩を添え

2022-11-15 13:44:11 | 山形・福島
鶴ヶ城を訪ねると、遠足の小学生たちが賑にやって来る。65年前、小学6年生の私は新潟からの遠足児童としてここにいた。そして18年前にも妻と訪れ、こんなことを書き残している。「その街のニオイを嗅ぎ取るには、宿泊してみる必要がある。夜、暗く沈んだ裏通りで地酒を酌み、土地の言葉を聴く。明けて朝靄の街路を歩いて駅に行く。そこでせわしく通勤・通学する人たちを観察していると、その土地がほんの少し分かったような気分になる」 . . . 本文を読む
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1066 三島(福島県)踏ん張って豪雪と過疎アーチ橋

2022-11-14 10:26:58 | 山形・福島
只見線の車窓を楽しむことが目的の旅だけれど、せっかくの「奥会津」だから山の中で1泊しようと考えた。駅に近い宿泊施設を探すと、会津宮下駅の近くに旅館が見つかった。そんな消極的な理由ではあったものの、おかげで初めて知る三島町で、通過するだけでは知り得ない山里の暮らしをわずかながらも垣間見ることができた。700世帯1420人が暮らす町の中心部は、只見川沿いの東西1キロ、南北200メートルほどの平坦地である。 . . . 本文を読む
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1065 只見(福島県)「お帰り」と手を振る人の只見線

2022-11-09 17:28:06 | 山形・福島
只見線が復旧し、運行が再開されると聞いて「これは行かなければ」と気が急いた。というのも小出(新潟県)と会津若松(福島県)を結ぶこのローカル線は、いつか乗ってみたいと思いつつ、2011年夏の豪雨で路線が寸断されてしまったのだ。幾つかの被災区間は翌年には復旧されたものの、福島県最奥部の只見駅―会津川口駅間は復旧費用の大きさなどから議論が起こり、廃線の危機さえ報じられていた。実に11年ぶりの全線再開なのである。 . . . 本文を読む
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1064 あおによし奈良の都は蘇る

2022-11-06 22:01:41 | 奈良・和歌山
若草山を下山し、転害門から法蓮町を抜けてかつての一条大路を西に向かう。30年ぶりの佐保界隈は、相変わらず雑然として渋滞気味である。歩き慣れた道のはずだが、平城宮跡に着いて大いに戸惑った。記憶の中の宮跡は、ひたすら茫漠とした原に大極殿の基壇がわずかに整備されている程度の、広大な空き地だった。それが今や巨大な大極殿が復元され、近くには役所を再現したという建物や築地塀が延びている。いったい何が進んでいる . . . 本文を読む
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1063 若草山(奈良県)若草のこれが別れの国見かな

2022-11-03 15:13:35 | 奈良・和歌山
 平城京の神南備・若草山の山頂である。標高283メートル、三笠山とも言う。大和平野をあまねく見晴らすことができ、南方の吉野の峰々の手前に微かに見えている小さな三角錐の丘は耳成山だろう。つまりその向こうが「飛鳥」ということになる。飛鳥でよちよちと国造りを始めた大和朝廷は、そこを出て盆地北端に平城京を建設した。その歴史的国見をしながら、結婚の記念写真を撮りに来たらしいカップルはどんな人生を思 . . . 本文を読む
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