大月とは、大槻のことであろう。欅のことを古くは槻といったようで、大きく枝を広げる4本のケヤキがあったのだと大月市中の三島社にその伝承が残っている。近江の湖北にも、観音で名高い高月という土地があり、その地名も高く大きな槻の木から来ていると聞いた。近江と甲斐は「槻」を「月」に換えたわけだが、大阪の高槻の場合、由来は「月」なのだが「槻」の字を当てたのだとか。地名の変転をたどることはまことに難しい。 . . . 本文を読む
サルが身体を支え合って対岸まで連なり、川を渡る姿にヒントを得たといわれる珍しい構造の橋があることは聞いていた。しかし日本三奇橋の一つだというその猿橋が、電車に乗れば1時間ほどで着く山梨県の大月市にあるのだとはトンと気が付かなかった。紅葉見物をかねて出かけてみることにする。ちなみに日本三奇橋とは、「岩国の錦帯橋」を筆頭に「甲斐の猿橋」「木曽の桟(かけはし)」を指すらしい。いずれも私は渡ったことがない。 . . . 本文を読む
大阪には「大阪城」という町丁があるが、東京のそれに「江戸城」はない。そこは「千代田」で、すなわち皇居である。皇居は天皇の通常のお住まいのことだが、吹上御苑の森の奥にある御所は江戸城本体の地ではない。城の中枢部であった天守台を含む本丸跡は、現在は「皇居東御苑」として一般公開されている。将軍を巡る女性たちが行き交った大奥のあったあたりでは、昼休みのOLらが芝に坐り、持参したランチを楽しんでいる。 . . . 本文を読む
だれもがそうであろうが、私は戦争を厭う。人間の犯す最悪の愚行だと、強く厭う。どんな理屈を付けようと、その愚行に国民を巻き込んだリーダーは、同胞に対する犯罪者として記憶されなければならない。私は敗戦1年を経ずに生まれ、まだ戦後を色濃く残す社会のなかで反戦・厭戦教育を受けて育った。だからだろうか、戦争に対する忌避感は相当に強いものがある。例えば九段は、そんな私に戦争を感じさせる気の重い土地である。 . . . 本文を読む
11月だというのに由比ケ浜の釣り人は半袖である。キスを狙っているというのだが、釣果はさっぱりらしい。それでも沖のサーファーを気遣いつつ、数百メートル先をめがけて竿を振る。浜の手前の公園ではバザーが開催中で、古着や植木を売る市民の露店が賑やかに声をかけて来る。鎌倉の週末はいつも大変な混雑だけれど、ここまで足を延ばす観光客は少ない。今日は母の17回忌にあたり、親族でささやかな集いを持ったのである。 . . . 本文を読む
東京・阿佐ヶ谷の「小野忠重版画館」から『創作石版画展』の案内が届いた。案内の葉書に織田一磨の『新潟唐人池』が印刷されていたことに惹かれ、出かけることにした。阿佐ヶ谷の駅で降り、おおよその方角を定めて線路に沿った狭い通りを行く。街灯に「スターロード」の標識がある。それを見上げて私は唖然とした。飲食店の看板がひしめく先にわずかに覗く空には、電線や電話線が落書きのように重なり、混乱を極めているのだ。 . . . 本文を読む