先ほどから老夫婦は、何を思って伽藍を眺めているのだろう。古代インド仏教の様式を取り入れたという石造建築が、冬陽を浴びて輝いている。「どうします、私たち」「そうだねえ、そろそろ決めなければ」。男性は後期高齢者に達した頃合いのようだし、女性は程なく古希を迎えようかというお歳ごろだろうか。寄り添って、そんなことを語り合っている睦まじい二人に見える。都心では珍しい、広々とした空が抜ける築地本願寺の昼下がりだ。 . . . 本文を読む
この建物を見たかった。空中に長く突き出した空洞は何なのだろう。なぜこのような造形が生まれたのか、内部はどんな空間になっているのだろうと、様々な想念が湧いてくる。写真で初めて知った際は「澄んだ空気の高原の、緑なす緩やかな斜面に建っている」イメージが浮かんだものだ。写実絵画を専門とする美術館だというが、その所蔵作品以上に「美術館」を見たいと思った。房総半島内陸の千葉市緑区あすみが丘にある「ホキ美術館」である。
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わずか4日で市原を再訪したのは、房総里山芸術祭の帰り、五井駅前で「更級日記 旅立ちのまち」という大きな看板を見かけたからだ。そうだったかと高校時代の古文を思い出し、帰宅して市原市の地図を開いた。そして市役所の近くに上総国の国分寺と国分尼寺跡が残されていることを知った。更級日記の内容はほとんど覚えていないものの、国司の娘が綴った平安文学だと記憶している。だから「上総の平安時代」に行きたくなったのである。
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内房線の五井駅は、小湊鉄道の始発駅でもある。房総半島の中央部で、39キロの路線を営業する小さな鉄道会社だ。沿線の景観も含めた路線は「ちば文化遺産」に選定されているのだとかで、確かに里山を背景に行くディーゼル列車は美しい。五井駅を出ると程なく田園地帯に入り、車窓は「まだ首都圏の人口過密地帯だろう」という先入観を覆す。大正時代に計画された安房・小湊町に延伸しないまま終着駅になるけれど、それでも「小湊」鉄道と言う。
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「牛久」といっても茨城県の牛久ではない。千葉県の市原郡にかつてあった牛久町のことで、今は市原市に編入されている。その市原市では目下、市を挙げて房総里山芸術祭を開催中だ。市域を貫く小湊鉄道沿線に「いちはらアート×ミックス」と題する様々な展示が行われ、牛久の駅周辺もメイン会場の一つになっている。物見高い私はこうした催しは逃さない。天候を見計らい、東京を早朝に出発して五井で乗り継ぎ、小湊鉄道に揺られている。
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ここで語ろうとしている「田淵」とは、房総半島のほぼ中央、千葉県市原市南部の里山に農家が点在する小さな「字」のことだ。穫り入れを終えた棚田上空を、オオタカらしき鳥影が大きく舞う里は、物音ひとつ響いてはこない。だが実は、ここは地球規模の大きな名の土地なのである。「養老川流域・田淵の地磁気逆転地層」。すなわち地球の磁場が南から北へ逆転した78万年前の、更新世中期の地層を目撃できる「チバニアン」の里なのである。 . . . 本文を読む
18世紀の江戸の街を詳しく描いた「明和江戸図」という地図がある。「明和八年」とあるから、1771年に日本橋の版元で刷られた木版だ。目を凝らすと、隅田川の河口に小さな島が二つ浮かび、「石川嶋」「佃嶋」と記載されている。いかにも人造島らしく、角ばって描かれているのがリアルだ。埋め立てが進んだ現在、二つの島は月島に続く大きな埋立地に埋もれてしまっているけれど、実際に歩いてみると、「江戸の形」を実によく残しているのだった。 . . . 本文を読む
りんかい線の東雲駅から、晴海通りをのんびり歩く。湾岸散歩だ。東雲から北へ、豊洲、月島、佃島と、新しい島から古い島へ約4キロ、1時間余の短い散歩を楽しむことになる。江戸の時代から続く東京湾の埋め立ては、今や5700ヘクタールを超えるといい、タワマン族の住宅街だ。晴海運河に架かる春海橋を渡っていると、下から若い女性の掛け声が響いてきた。慌てて覗き込むと、大きなボートが音もなく、12本のオールを揃えて顔を出した。
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