今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

807 大聖寺(石川県)白山と向き合う街の太平記

2017-12-30 07:00:00 | 富山・石川・福井
加賀平野一帯を私はこれほど知らなかったのだと、今更ながら驚いている。例えば大聖寺という、長い歴史を持つ街を知らないでいたとは、70年も生きて己の知見の狭さを恥じるばかりである。ただ知らないなりに、金沢の前田家が支藩を置いた城下町だと聞いたときは、いや街の歴史はそれよりもっと古いに違いないと即座に思った。そのことは「だいしょうじ」と声に出してみればわかる。太平記に似合いそうな響きがするではないか。 . . . 本文を読む
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806 吉崎(福井県)吉崎にナミアムダブツ陽が落ちる

2017-12-29 07:00:00 | 富山・石川・福井
すでに全てが失われ、何も残されていない処だとしても、かつてそこで交錯した人間たちのエネルギーが、幽かにせよ今も漂っているに違いない、そんな風に思える、あるいは思いたい土地がある。例えばこの国が戦乱に疲弊し、民衆は逃散し流浪し餓死するしかなかった15世紀後半、越前の辺境に出現した宗教都市がそれである。親鸞から8代、その血脈に連なる浄土真宗本願寺派の蓮如が築いてみせた吉崎御坊とは、いかなる処なのか。 . . . 本文を読む
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805 山代(石川県)湯処で九谷五彩の技を見る

2017-12-28 11:17:53 | 富山・石川・福井
今回の旅の行程は「九谷焼」が中心である。そもそも九谷焼は17世紀半ば、大聖寺川上流の山深い九谷村で焼かれた色絵磁器のことだ。だから大聖寺駅前には「古九谷發祥の地」の碑が建っている。古九谷とはこの九谷村で焼かれた九谷焼を云うのだが、そこでの焼成はわずか50年余で途絶える。その理由は謎のまま、ただ限られた数量の色絵磁器が残された。それから100年余、幻の磁器は再興され、古九谷の技術が甦るのである。 . . . 本文を読む
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804 加賀(石川県)空白を埋めて私の日本地図

2017-12-27 16:52:27 | 富山・石川・福井
民俗学者・宮本常一の著作シリーズに『私の日本地図』がある。その知識と行程に比べたら私の旅など及ぶべくもないのだけれど、私も倣って「私の日本地図」を思い描いてみる。例えばその白地図に、訪ねた街ごとに青インクを落としたとする。するとインクは滲んで、視界に届いたエリアを示すかのように、濃く薄く広がる。そうやって私の日本地図は、次第に青く染まって来た。しかし真っ白のままの土地もある。その一つが「加賀」だ。 . . . 本文を読む
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803 瀬波(新潟県)波の音熱すぎる湯にかき消され

2017-12-15 14:17:56 | 新潟・長野
せっかく新潟に来たのだから、温泉に入っていったらいいという同級生の誘いに乗って、新潟市の北60キロの瀬波温泉に来ている。寒日の焼香行脚で身体も心も冷え切っているだけに、瀬波の熱すぎる湯が心地よい。案内してくれたのは中学1年次の同級生で、前日の親戚廻りに付き合ってく3年次の同級生とは顔ぶれが異なる。前夜はその3年次のクラスの何人かが集まって、忘年会を催してくれた。故郷とは、まことに暖かいものである。 . . . 本文を読む
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802新潟②(新潟県)遠く想う語ることなき故郷を

2017-12-14 16:43:16 | 新潟・長野
故郷とは何か。生まれ育った新潟に帰るたびに、そのことを繰り返し考える。親はすでに黄泉路にあり、幼い私を慈しんでくれた親戚の方々も、ほとんどが鬼籍に入っている。それでも故郷の大地が私を温かく迎えてくれる感覚に揺らぎはない。大げさに言えば、その一木一草が愛おしいのである。懐かしさが、離れている時間が長くなるほど強まって行くようでもある。何故なのだろう。茫漠とした平野が、雪に覆われているだけなのに。 . . . 本文を読む
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801 新潟①(新潟県)線香の煙が染みる故郷の空

2017-12-13 15:59:15 | 新潟・長野
新潟市の万代橋から望む落日である。街の明かりを映しているのは信濃川で、遠く茜色の空に浮かぶシルエットは弥彦山だ。私は弥彦山をもっと間近に仰ぐ蒲原平野に生まれ、信濃川が長い旅を終えて日本海に注ぐ河口の街・新潟市で育った。激しい手振れと甚だしいピンボケのひどい写真ではあるけれど、この1枚に私の幼少期から少年時代までの世界がすっぽりと納まっていることに気づき、掲載することにした。今では遠い昔の話だ。 . . . 本文を読む
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800 仙台(宮城県)よく生きるフィンランド流の心地良さ

2017-12-05 21:29:40 | 岩手・宮城
仙台に着くと、まず出向いたのは宮城県美術館である。フィンランド・デザイン展が開催中なのだ。フィンランド独立100周年を記念して全国を巡回してきた展覧会の、これが最終展になる。常々主な美術館の企画はチェックしているつもりだったのだが、なぜかこの巡回展は気がつかずにいて、北欧の旅から帰って知ったのは、東京展が終わった翌日という間の悪さだった。だがそのおかげで、仙台へ旅するきっかけができたともいえる。 . . . 本文を読む
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799 一関(岩手)照柿に支藩の昔思い出す

2017-12-03 21:08:33 | 岩手・宮城
柿はさほど好みの果実ではないのだけれど、その色はまことに美しいと、季節が廻るたびに思う。一関の街なかで、軒に柿を吊るしている茅葺家に出会う。晩秋の日差しをいっぱいに浴びて、柿は艶やかに照り返り、土壁にくっきりと影を映している。一関藩家老職の沼田家屋敷跡だという。素朴な門の内に小さな庭が造られてはいるものの、内部はやや豊かな農家の風情。支藩とはいえ三万石を領しながら、その家老屋敷は実に質素である。 . . . 本文を読む
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798 盛岡(岩手)岩手山イーハトーブに輝けり

2017-12-01 13:28:17 | 岩手・宮城
早朝5時過ぎに目が覚めた。盛岡・北上川畔のホテルである。カーテンの隙間から覗く街はまだ真っ暗なので、昨日眺めた岩手山の堂々たる姿を、ベッドの中で思い出してみる。今日もよく晴れると予報は伝えていたから、盛岡の街から望む岩手山は、朝日を正面から浴びるはずだ。だとすれば、白銀の山塊がピンクに輝く瞬間があるかもしれない。そう思い付いて身支度を始める。日の出は東京より少し遅いらしいから、6時半ころだろうか。 . . . 本文を読む
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