香港では、ぜひ再訪したい《村》があった。24年前、香港駐在の同僚が「珍しいところを見せてやろう」と案内してくれた《村》で、その不思議さに呆然となった記憶が残っている。香港島からどうやって連れて行かれたかは全く覚えていないのだが、香港特別行政区の北部、錦田(Kam Tin)にある「吉慶園」だと見当をつけた。ホテルで道を訊ねると、「香港にはもっと見どころがたくさんあるのに」と、フロントのみんなが肩を . . . 本文を読む
早朝の公園は、日本も中国も同じ光景が広がる。日本ではラジオ体操の輪、中国では太極拳のいっせい演舞だ。スピーカーから流れるリズムに乗って、関節を滑らかに動かしながら法悦境地のお年寄りに、日中の違いはない。香港・九龍半島の中心部、九龍公園も案の定、そろいの赤シャツ集団などがやってる、やってる。人だかりの先を見ると、6時半のプール開場を待つ人たちだ。香港市民の健康志向は、なかなかのものであるらしい。 . . . 本文を読む
ポルトガルに行く、それが私の念願なのだ。リタイア後はポルトガルで暮らしてみようかとさえ考え、いろいろな本を読んで夢見たものだ。なぜポルトガルなのか。うまく説明できないのだが、かつては地球の裏側まで船を操った冒険者たちが、今はその記憶の残照を浴びて黙然と座っている街・・・。勝手にそんな姿を思い描いている。しかしポルトガルは遠い。短期間の旅をする時間さえとれないでいる。だからマカオに行くことにした。 . . . 本文を読む
ひょっとするとこの1枚は、なかなかのスクープ写真なのかもしれない。香港島の高層ビル群を背景に、2機のヘリコプターが飛んで行く。ただそれだけの絵柄だが、よく見るとヘリは軍用らしい。ということは中国人民解放軍か。返還後、50年間は1国2制度が保証されている香港は、解放軍は駐屯しているけれど市民の前には姿を見せない。香港っ子のガイドさんさえ「ワタシ初めて見た! あなた運いい」と興奮していた。
建国 . . . 本文を読む
「みなとみらい」のランドマークタワー63階から見晴らすと、足下に横浜港の中心部が広がる。しかしその眺めは、港全体の一部でしかない。どこからどこまでが港であるかは港湾法で厳密に定められていて、横浜港は区域面積が7300ヘクタールもある。「もある」と言ってみても、それが世界の貿易港に比して大きいのか平凡な規模なのか、私に知識はない。しかしこの港が、日本第2の大都会を産み、育てて来たことは間違いない。 . . . 本文を読む
月が出ていた。十四夜の月だった。月光文明のアラブ圏では、女性への最高の褒め言葉は「十四夜の月のように・・・」と例えることなのだそうで、確かに十五夜より美しさに深みがあるかもしれない。ここは芭蕉の故郷・伊賀上野。東京ではまだ宵の口だろうに、すでに夜更けたかのような仄暗い静寂の中、町屋の甍を白々と、十四夜の光りが包んでいる。350年ほど昔、若い芭蕉が眺めた同じ光を、私は浴びながら歩いている。
旅 . . . 本文を読む
大阪に「大阪城」という《地名》があるとは知らなかった。城の北西「京橋口」から入城しようとして、「中央区大阪城3」という路上標識に気づいた。かつての富士山測候所だって「静岡県富士宮市剣ケ峰」という《住所》があったのだから、日本の国土はすべからく地番が付いているのだろう。従って城も例外でないわけで、調べたら「大阪城」という住所には郵便番号もあった。それにしても、余りに「そのまま」の町名ではないか。
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