何とも豪快な地名である。紀伊半島の東端、熊野と遠州の灘を分けて複雑に入り組んだ海岸線の先端、大王崎のことだ。かつて九鬼水軍が砦を築き、列島有数の船の難所を仕切った岬である。その城山に守られた漁師町・波切(なきり)は、静かな昼下がりを迎えていた。男たちは漁から帰り、まどろんでいるのだろう。街は、コトリとも音がしない。だから女たちは、満開の河津桜に埋まる大慈寺で、心行くまで花を愛でているのだった。
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群馬県の北部に渋川という街がある。特色を挙げることに難渋するほどの地味な街だが、高崎から北へ向かう旅人が沼田から越後へ、あるいは西にそれて草津から信州へ抜ける時、この地で道を分ける追分的宿場町として暮らしが営まれた。そして伊香保温泉の玄関口として、湯治客が通過した街でもある。私がここで社会人の第一歩を踏み出したのはちょうど40年前のこと。40年という時間は、街をどこまで変えるものだろうか。
4 . . . 本文を読む
スクリーンに微かな線の群れが現れ、ゆっくり近づいて来る。何だろうかと見つめていると線はしだいにクリアになり、その1本1本が林立するビルのシルエットに重なる。そしてそこがマンハッタン島の高層ビル群だと気づかせて、映画『ウエストサイド物語』は始まる。すばらしい導入部だった。あのシーンで、都市にも美があるのだと教えられた。以来、街を歩いて高層ビルの谷間に迷い込むと、空を見上げることが癖になった。
東 . . . 本文を読む
それはもう、暑い日だった。鳥羽から朝熊山のドライブウエーを回って内宮に詣でる。私には4度目の伊勢になるが、初詣を除く3回はいつもよく晴れた暑い日に巡り合わせている。だから伊勢の記憶は「暑い!」に尽きる。梅雨明け直後の3連休というこの日は、これまでで最も暑かった。それでも「おかげ横町」は大変な人出で、日本人のお出かけ好きには圧倒される。かく言う私たち中学の同級生5人組も、雑踏形成に一役買っている。 . . . 本文を読む
フランスのガイドブックが三ツ星をつけるのは勝手だが、日本人が何もそれをありがたがって大騒ぎすることはあるまい・・と私などは思うのだけれど、そのことで高尾山はこのところ、大変な賑わいなのだと聞いた。しかし私たちの場合は「だから行こう!」となったのではなく、久しぶりにちょいと自然の中へ、という気軽な気分で電車に乗ったのだ。何しろ家を出て1時間も経ずに、ケーブルカーの乗り場に並んでいる至便さなのだ。
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高校生が3人、茜色に変わり始めた西の空を眺めている。下校途中に立ち寄ったのか、ここは高崎市役所の最上階展望ルームだ。丘陵の向こうに、特徴的なシルエットを見せているのは妙義山で、高崎からはほぼ真西にあたる。高校生は女子2人に男子が1人。クラスメートだろうか。群馬はいまだに男女別学の高校が多いのだが、どこの生徒たちだろう。故郷の山河を見晴らし、進路のことでもおしゃべりしているのだろうか。青春だなぁ。 . . . 本文を読む
《日本史の奇跡》を問われたら、その一つに《足利学校》を挙げたい。世の中が猜疑心と陋習による悪意に満ちていた(ような印象がある)中世にあって、琉球からも学徒がやって来て、かのザビエルが「最大にして最も有名な坂東の大学」と世界に紹介した《大学》がこの地方都市に存在したこと。そしてそこが「野山に働く人々も漢詩を口ずさむ風雅の都会」と讃えられる知的生活に満ちていたこと。これは、奇跡でなくて何であろう。
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