日本三景の選定は江戸時代の儒学者によるのだそうで、21世紀人でさえ押し掛ける観光名所になっているのだからなかなか大した選定眼である。私個人としては、そんな基準に釣り上げられることは釈然としないのだけれど、広島まで来た「ついで」に、行き残していた1景「安芸の宮島」に渡ってみることにした。松島と天橋立が自然の造形美であるのに対し、こちらはその主要部がめくるめく人工美なのだった。
宮島は島という地の . . . 本文を読む
《起伏がある》ということは、何ごとにつけ魅力がある街の条件の一つなのではないか。人体のプロポーションが、平板であるより起伏に富んでいる方がより魅力的であるように、街だって同じだ。尾道でそんなことを考えたのは、何も坂の街といった地勢的な起伏だけで連想したのではない。尾道は歴史や文化、あるいは人々の気質が複雑に重層していて、その《厚み》が魅力的な街を形成しているように思えたからである。
そこが広島 . . . 本文を読む
天守閣なるものを見上げて、城とは「何と美しいものか」と初めて感動したのは松江城だった。あれから25年、城跡の近くに行く機会があると、決まって足はそちらに向くようになった。この1年だけでも萩城、明石城、広島城、佐賀城、唐津城、松本城、彦根城、島原城、熊本城、高遠城を歩き回った。数え上げると疲れを覚えるほどで呆れてしまう。しかしやはり国宝にして世界遺産の姫路城であろう。ようやく立ち寄る機会を得た。
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小海線の旅を続けている。佐久穂町の奥村土牛美術館を出て、佐久へ行ってみようと思い立った。八千穂駅に戻ると、うまい具合に列車(と言っても1輛だけだが)がやって来て、しばらく揺られて中込(なかごみ)駅で降りる。しかし「佐久」とは不思議な街だった。「佐久の中心街はどこですか」と尋ねると、みんな困ったような顔をして口ごもる。「中心といわれたって・・・」と、戸惑った表情になるのだ。なぜなのだろうか。
「 . . . 本文を読む
「休みが取れたから、のんびり秋の景色を眺めに出かけたいわ」と言い出した伴侶のお供をして、小海線を旅して来た。山梨県小淵沢と長野県小諸を結ぶ小海(こうみ)線は、八ヶ岳山麓を縫うように走る高原列車で、日本一の標高を行く鉄道として知られている。遠く富士山は冠雪を完了しており、周囲はすっかり晩秋。終日、好天に恵まれたものの、時おり吹き降りて来る風は肌を刺して痛い。寒くて、しかし爽快な日帰り旅行だった。
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「アルテピアッツア美唄」という名の彫刻美術館があることを知り、北海道・美唄(びばい)に出かけた。とはいえ、そのことだけで北海道に飛べるほど、私は優雅な暮らしをしているわけではない。旭川と札幌に所用ができ、その出張を利用して立ち寄れないかと考えたのだ。それにしても美唄とはどこにあるのか? 炭坑の街ではなかったか。地図を調べると、都合のいいことに札幌と旭川の中間ではないか。
美唄市出身の前衛彫刻家 . . . 本文を読む
「九度山」は「くどさん」ではなく「くどやま」と読むことすら知らなかった私だが、なぜかこの地名に出会うとドキドキしてくる。その原因が「真田十勇士」にあることは察しがついている。そう、猿飛佐助に霧隠才蔵である。子どものころ熱中した漫画の興奮が、この土地の名とともに蘇ってくるのだ。かつらぎ町天野から町石道を下って来た私は、いつの間にか九度山町に入り込んでいて、ドギマギしたのだった。
真田十勇士は、チ . . . 本文を読む
「八町坂」を登り切ると、石造りの鳥居が2基、並んで建っていて、周囲が小さなテラス状の展望スペースになっていた。「町石道」をたどって高野詣に向かう人々が、高野山奥の院・丹生都比売神社をここから遥拝するのだといい、それにふさわしい晴れ晴れとした眺望である。神社はどこにあるのかよくわからないけれど、盆地全体が神域であると考えれば、手のひらでそっと掬い取ることができるような、何やらありがたく見える眺めで . . . 本文を読む
和歌山県かつらぎ町天野の丹生都比売神社。私のバスと同時に到着したワゴン車の人たちが、ぞろぞろと参拝に向かっている。幼女もいるから4世代ほどの家族だろうか、腰の深く折れ曲がったおじいさんを労わりながら、楼門で深々とお参りしている。遍路装束の中年男性が菅笠姿でやって来て、足早に参拝を済ませ立ち去って行った。支配しているのは静寂である。私は朱の太鼓橋に登り、写真を撮りまくっている。
こんな鄙びた山里 . . . 本文を読む